松沢呉一のビバノン・ライフ

私娼に負けた公娼-娼妓と芸妓の地位が逆転した事情 1-(松沢呉一) -3,618文字-

「『吉原炎上』間違い探し」で見てきたように、吉原について、あるいは遊廓については、おかしな記述が多すぎます。これはドラマ「吉原炎上」に限らずのこと。

繰り返しますが、遊廓を批判するのはいいとして、それが間違いを根拠にしているのであれば無効です。まして、矯風会のように、根拠なくデマを流し、それがデマであることを指摘されても、数十年にわたってデマを流し続けるなんてことが許されていいはずがないのです。

矯風会が流し続けた「大門を閉じて逃げられないようにしたため、多数の娼妓が焼け死んだ」というデマについてはあまりに杜撰で、その間違いはすぐに指摘できます。写真一点出せばおしまい。

しかし、間違いであることの指摘が容易ではないものもあって、私もなお正確なことがわかっていない点は多々あります。ここまで書いてきたことでも間違いや不十分な点がありましょう。少しずつ調査、検証を重ねていき、少しずつ事実に近づいていくしかありません。

『吉原炎上』間違い探し」では、指摘すべき点が多すぎて、ひとつひとつのテーマについて駆け足にならざるを得なかったため、以下、補足編で、もう少し突っ込んでいくことにします。

これ以降は「『吉原炎上』間違い探し」の補足編、番外編というべきものが続きますが、タイトルが煩雑になるので、タグのみ「『吉原炎上』間違い探し」を残しました。また、これ以降は初出時に触れていなかったものが増えるため、「ビバノン循環湯」も外しました。

 

 

私娼の跳梁

 

vivanon_sentenceここまで書いてきたように、明治半ばから娼妓の地位が転落していく。これにはいくつかの要素がからんでいて、遊廓の人気自体が落ちたこともここに関わっている。

明治後半の手強いライバルは私娼である。関東大震災まで東京最大の私娼窟だったのは「浅草十二階下」。これは松崎天民の命名で、浅草のシンボル凌雲閣の下には銘酒屋と呼ばれる淫売屋が多数あり、その数九百軒近く、そこに二千人から三千人の女たちがいた。吉原に匹敵する規模だったわけだ。

震災によって十二階が崩壊し、十二階下も壊滅、一部を残して玉ノ井に移転し、これがまた発展し、亀戸とともに東京を代表する私娼窟になり、警察も取締を諦め、半公認になったのはすでに述べた通り。

松崎天民は『裏面暗面実話』(平凡社・昭和四年)で、自身が私娼に注目して取材を続けてきた理由をこう説明している。

 

 

私娼を見るようになった一つの有力な原因は、極めて手軽に極めて安価に、性欲要求者に快感を与え得る設備が、他に出来て居なかったからであった。公娼の存在を許して、若い男性の欲望を満足せしめようとしても、そこには時間の関係やら、費用の打算上やらで、完全に総ての男性を迎える事は出来なかった。芸者と云う女の世に隠れた私娼行為を黙認して居ても、そこには面倒な交渉や、不廉な金額の必要やらがあって、とても多くの男性に、満足を供給し得るわけにはいかなかった。殊に日本の貞操を売る職業女には、職業上の訓練が未熟である上に、何処までも慣習的の疑似道徳感(ママ)が邪魔をして、近代に呼吸する男性に、徹底的の満足を与えようとしなかった。私はこれが、この一事が、「私娼繁昌」を生んだ主な原因の一つであった事を、今日でも信じて居る一人である。

 

 

この引用文にある「日本の貞操を売る商売女」は「“日本の貞操”を売る商売女」なのか、「日本の“貞操を売る商売女”」なのか、はっきりしない。公娼も私娼も「日本の商売女」であり、あえて公娼にこの言葉を使ったのは別の意図があったとも思われ、「官許の貞操を売る商売」の意味で「日本の貞操」という言葉を使用したのかもしれない。だとすると、マイク・モラスキーが注目する「日本の貞操」の例か。

※関東大震災で半壊した浅草十二階

 

 

花電車を生んだ玉ノ井

 

vivanon_sentence簡単に言えば遊廓は時代についていけなくなり、客の需要は私娼がすくいあげていったということだ。

当時の雑誌も天民同様、玉ノ井や亀戸にばかり注目をして、遊廓の記事は少ない。長期で見れば明治以降大きく変化を遂げているが、短期で見れば遊廓は代わり映えしないので、記者の職業意識を刺激しなかったろうし、取り上げたところでつねに新しいものを欲しがる読者も興味を抱かなかったろう。

せいぜいのところ、明治四十四年の大火や関東大震災で全焼したあと、建物がきれいになったことが吉原遊廓の大きな変化か。

 

 

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大火のあと再興した吉原の様子を伝える絵葉書。石造りに見える。これからわずか十年ちょっとで関東大震災があり、これも灰燼に帰すことになる。

 

 

対して私娼では多様な女たちがいて、面白い話を拾うにも私娼の方がいい

ちょっとしたブームになって人を集め、各地に飛び火した花電車(現在のストリップで言う花電車のルーツ)が玉ノ井で始まったように、新しい動きの発祥は公娼ではなく、私娼が担うようになっていった。

 

 

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