松沢呉一のビバノン・ライフ

花園歌子の矯風会批判-『女工哀史』を読む 13-(松沢呉一) -3,795文字-

生まれる前に未来が決まっていた-『女工哀史』を読む 12」の続きです。

 

 

 

遊廓がましだった事情

 

vivanon_sentence小作農の現実と、製糸工場の需要が合致して、安い賃金、過酷な労働が実現したわけで、小作農の現実を改善しなければ、女工の現実も改善しなかった。

どれほど工場の労働環境が過酷であろうとも、女工たちはさらに過酷な実家の現実に比べてしまって、文句を言えない。クビにされて、実家に戻りたくはない。次々と同僚が事故で死に、病気で死に、自殺していくような現実を前にして、声を上げることもできない。

しかし、ここまで見てきたように、娼妓はこれほどまでにひどい環境を強いられていたわけではない。程度の差にしか過ぎないとも言えるが、その程度の差はどこから生じたのか。

さまざまな要因がからみそうで、簡単には説明できそうにないが、遊廓は公娼であり、法の管理下にあり、警察など行政の監視があったことがひとつ。公娼より私娼の方が悪質な業者が活躍する場があったこともこのことを例証する。

その点、工場は私企業であり、行政の指導は行き届かない。国家が売春業に関与することの是非はともあれ、事実としてここは指摘しておく。

また、遊廓には廃娼派や新聞の監視もあった。もっとまっとうな娼妓の労働環境向上の運動があれば理想だったにせよ(別シリーズで見ていくように、そういう主張も多数存在していたし、以下に出てくる花園歌子もそういう主張をしている)、この点においては廃娼派の論理なき運動の成果もあったわけだ。

 

 

事の本質から目を逸らした廃娼運動

 

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ここで繰り返し疑問が湧く。どうして廃娼派はよりひどい人集めが行われ、よりひどい労働環境にあった女工に対しての解放運動をしなかったか。工場全廃運動をしなかったのか。

工場全廃は無謀だが、現に彼らが遊廓に求めたのはこれ。それでも廃娼運動が遊廓の環境改善に一定役立ったように、その力を工場に向けて全廃運動をし、矯風会は関東大震災に乗じて笑いながらデマを垂れ流し、救世軍は工場に突撃をすればよかったのである。そうしていたなら、ここまで不当な人集め、不当な労働環境、不当な組合潰しは起きなかったのかもしれないし、女工から公娼や私娼に流れるのも減ったろう。

簡単に言えば彼らの廃娼運動は人権の運動ではなかったからである。矯風会を筆頭にした宗教的廃娼派は、小作農の困窮、また、それによる女工の労働環境の改善よりも遊廓潰しに邁進した。それは資本の要請、国家の要請でもあった。

女工を救済しようすると、資本家たちを敵にする。困窮し、疲弊する農家を建て直そうとすると、社会の構造の根幹に踏み込むことになり、国家権力とも闘わなければならない。

経済力を持ち、欧米列強に打ち勝てる国家を作るためには、近代化を進めるしかなく、女工たちの犠牲は必要不可欠なものであった。労働力の確保のためには小作農が困窮することはむしろ好ましかったとも言える。

このような社会の中で、工場が成立し、遊廓が成立していたのであって、娼妓が悲惨なら女工はさらに悲惨、そして小作農はさらにさらに悲惨。女工や小作農の悲惨さをそのままにして、もっとも叩きやすい遊廓の悲惨のみをクローズアップして、より根源的な社会の問題から目を逸らせたのが廃娼運動であった。

私がいくら言っても耳を傾けない人たちが多いわけだが、そのことは戦前から多くの人が指摘してきた。以下の廃娼運動批判の数々を読んでもなお廃娼運動批判、なかでも矯風会批判を無視できるのだろうか。

 

 

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