松沢呉一のビバノン・ライフ

発禁にされた理由-「闇の女たち」解説編 12(松沢呉一)-2,550文字-

『闇の女たち』の著者が『闇の女たち』を読む-「闇の女たち」解説編 11」の続きです。

 

 

始まりから怪しい体験談

 

vivanon_sentence白川俊介著『闇の女たち』は本文60ページの冊子でした。物理的に薄いだけじゃなく、中身も薄い。

街娼本人にはまったくと言っていいくらい取材していないと思われます。どこかで聞いたこと(多くの場合、情報源は警察)、見かけたことを書いているだけ。また、街娼とはまったく無関係の話まで多数紛れ込ませています。

冒頭の14ページには、体験談が掲載され、街娼自身が「私」を主語にして語っているものもあり、あたかも手記のようですが、これは著者が直接取材したものではなく、おそらく警察関係者から聞いた話を脚色したものだと思います。

まったくのウソだとは思えないながら、この時代によくあったニセの手記の走りみたいなものであり、警察の、あるいは著者の思いが色濃く反映されてしまっています。

自身が取材した場合は、そうとわかるように書くと思うんですよね。どこでどう知り合ったか、どういう状況で聞いたのか、彼女はどういう見た目だったか、その時はどんな様子で話したのかなど。それが一切ありません。

街娼の話を聞きたくても、日本では難しくなってしまったため、萬華まで行っている私には信じられない。この時代だったら、いくらでも取材ができたはずなのに。

街娼と無関係の部分、内容が重複している部分、「ニセ手記」などを外すと、60ページの半分にも満たない。長めの雑誌記事を水増ししたものと言っていいかと思います。さらに、読んで「この記述は貴重」と思えたのは、全体の10分の1もない。ここから他の本で読んだことがあるものを除くと、私が注目した部分は2ページくらい。これについてはのちに紹介します。

 

 

それでも売れたはず

 

vivanon_sentenceこの本の冒頭に、出版社による惹句が掲載されていて、そこには「社会部の第一線にたつ名新聞記者の犀利なるペンに依って、此処に『闇の女』の生態は暴露された!」とありますが、著者の白川俊介は、いくらか雑誌に記事を書いていても、著書を残しておらず、これといった業績を残しているようには思えません。

この本の表紙には著者の名前の記載もありません。表紙を開いて扉を見て初めて著者名がわかります。

このような冊子は、昭和十年前後に盛んに発行されていて、戦後もまた紙不足が手伝って数多く発行されていたのですが、これらは著者の名前で売るのではなく、テーマで売るものだったため、著者名の記載が表紙にはないことは珍しくありません。こういったパンフに限らず、ノンフィクションはそういう扱いだったとも言えます。

また、「名新聞記者」だからと言って著書があるとは限らず、知名度があるとも限らないのですが、決して能力の高い人ではなかったことはこの本を読むと十分に察することができます。

たまたまこの時は即製で本を書き上げる必要があって、十分な時間もなかったのかもしれないですが、あまりにお粗末な内容なのです。

それでもこの時期に出せば売れたでしょう。前回出した奥付で、発行日は昭和二一年十月二五日になってました(下に出した別表では翌月にズレこんでいる)。敗戦から一年ちょっと。このテーマを扱うには絶好のタイミングです。

田村泰次郎の『肉体の門』が出版されるのは翌年のことです。多くの人が街娼の存在に気づきつつ、どうとらえていいのか誰もが考えあぐねていたでしょうから、出版されれば間違いなく売れたと思います。

 

 

初刷2万5千部!!

 

vivanon_sentence以下は、本とは別につけられた書類。

 

 

 

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