殺処分ゼロのための予算はどこから?-ペットと公共心 1-(松沢呉一) -2,023文字-
殺処分ゼロに伴う予算を考慮しない主張は無効
ペットの殺処分については、今まで何度も書いているので、繰り返すのが面倒なんですけど、公共心というものをとらえ直すにはいい素材です。
このところ、そこにある解決法を無視したまま、「ペットを殺すな」という主張をしている人たちがまた目立つので、私が10年くらい前から主張してきたことを簡単にまとめます。本気で解決したいんだったら、ちゃんと考えましょう。
ペットの殺処分をやめるには、莫大な予算がかかります。全国で少なくとも年間数十億円といった単位の金が必要になります。そのことを考えず、行政に対して「ペットを殺すな」と要求すると、税金をここに投下する以外になく、ペットを飼っていない人たちにも負担を強いることになります。
どっからそんな予算を捻出できるんだ? 教育費だの医療費だの福祉だのといった予算を削るんか? 犬猫のために人は死ねと。
動物愛護の活動をするレイシスト、ブリジッド・バルドーと同じになりますぜ。人間の尊厳より象が大事で、人権侵害を続けるロシアに国籍を移そうしていたB.B。ワケわからんですけど、動物愛護の人たちのある種の典型でしょう。「頭おかしい」ってことです。
ロシアでもどこでも行けばいいですよ。
ドイツを手本にするならペット税を
しばしばその手の人たちが手本として挙げるドイツではペット税で予算を賄っています。犬を飼っている人たちが日本円にして年間一万円ほど出すだけでこの問題は解決するのです。
「ドイツでは1頭も殺していない」(実際には治療不可の病気の個体などは殺しているのですけど)というのであれば、「ドイツではペット税を徴収している」という事実を同時に紹介し、「日本でもペット税を導入をせよ」と要求すべきなのです。
この問題ではっきりしているのは、飼い主の離婚、転勤、貧困、病気、入院、死亡といった事情によってペットは捨てられているという厳然たる事実です。
純血種だからと言って「飽きられた」と決めつけるわけにはいかず、どんな値段のどんな種類のペットでも捨てられることがあるってだけ。それ以上のことは調査をしないとわからない。
これらの事情から完全に逃れられる飼い主などいない。一生面倒を見ると思っていても、自分が先に死ぬかもしれないのだし、死にはしなくても見捨てるしかないことがある。そのことは、震災でも明らかになった通り。だったら、その時のためのいわば保険としてペット税を払えばいいじゃないですか。
この現実を見ないで、「ペットショップで高額な純血種を衝動買いした人たちがすぐに飽きて保健所に持ち込んでいる」という話を持ち出して殺処分の原因とするのは間違い。そういう例があるのだとしても一部。
以前から行政がネットで里親募集を積極的にやっているのは徳島県ですけど、ここのサイトは私も時々見ています。
もちろん、純血種もいますが、大半が雑種です。そんくらい確認してから言え。
「自分ではない無責任な飼い主とショップ、ブリーダー」にすべてを押しつけ、「命を大切にする優しい自分」をアピールするために殺処分を利用するゲスな人びとにはうんざりします。
うんざり。
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