松沢呉一のビバノン・ライフ

村に火をつけ、淫乱になれ-栗原康著『村に火をつけ、白痴になれ』より 8(最終回)(松沢呉一) -2,944文字-

道徳に乗って復活した神近市子-栗原康著『村に火をつけ、白痴になれ』より 7」の続きです。

 

 

 

淫乱であれ!

 

vivanon_sentence日露戦争以降、積極的に軍部に協力し、海外の婦人団体からの批判をも蹴ってきた矯風会、伊藤野枝と廃娼運動の評価で対立した山川菊栄、嫉妬に狂って大杉栄を刺し殺そうとした神近市子が結託して制定運動に邁進して成立したのが売防法でした。つまりは道徳派の仕業であります。

あるいは戦争に積極協力して戦後公職追放になりながらも、そんなことはなかったように復活した市川房枝や奥むめおのような存在を婦人運動は生み出し、市川房枝も、積極的とまでは言えないまでも、売防法制定に関わったはずです。

こういった世渡り上手の婦人活動家たちに対して、正直すぎる生き方をしたのが伊藤野枝でした。

そして、売春する女たちに近いところにいたのが伊藤野枝でもありました。「淫乱女」と言われても、「それがどうかしたか」と言っただろうと思いますし、誇りにさえ思ったのではないか。

この本はタイトルに成功しているとも言えますが、『村に火をつけ、白痴になれ』というフレーズは、そのまま伊藤野枝自身が書いていた言葉ではないのかも。障害のある子どもを持つ母親が追い込まれて自殺をする小説「白痴の母」と、被差別部落出身であるがために迫害を受けた青年が報復のために村に火をつける小説「火つけ彦七」の、伊藤野枝によるふたつの作品から、伊藤野枝が言いたかったであろうことを著者がまとめたフレーズだと思います。

タイトルもまた伊藤野枝に自分の言葉を重ねる文体の延長でしょうが、これはまさに伊藤野枝の心情そのもの。習俗を破壊せよ。そして低辺に身を置け。

白痴になれ」は、女にとって「淫乱であれ」ということでもあって、そこから闘おうとしていた伊藤野枝にとっては、望ましき扱いだとも言えます。女を縛り付けてきた道徳を乗り越えることができなかった日本の婦人運動家たちの中で、もっとも輝かしい称号を得たのが伊藤野枝です。

※婦人運動家たちがいかに戦争協力していったのかは、藤目ゆきの著作等で読んでいましたし、国会図書館で当時の発行物も見てましたが、改めてその世渡りぶりを確認しておく必要があると思い、昨日、鈴木裕子著『フェミニズムと戦争』を購入しました。もう一冊は一緒に買った花房観音著『京都 恋地獄』。花房さんも、伊藤野枝によって、この国のフェミニズムに対するもやもやしたものがすっきりしたとのこと。伊藤野枝を淫乱として葬った側が、現在のフェミニズムのルーツになっているのだと考えるとわかりやすい。

 

 

新しいフェミニスト伊藤野枝

 

vivanon_sentence「日本の婦人運動の限界」といったところまで『村に火をつけ、白痴になれ』で論じられているわけではないのですが、ほとんど言っているに等しい。

その点で、もっとも著者の考えが出ているのが「まえがき」です。「まえがき」はこう締められています。

 

これから野枝とともに、あたらしいフェミニズムの思想をつむいでいきたいと思っている。

 

伊藤野枝の生き方や思想を肯定するってことはそういうことです。伊藤野枝を否定した平塚らいてうの限界をそのまま引きずっているのがこの国のフェミニズムなのですから、今なおもっとも新しいフェミニストが伊藤野枝です。

いろんな読み方ができると思いますが、今現在の存在として伊藤野枝を肯定した本書はすぐれたフェミニズムの本です。そこんところを意識して読むべし。

この『村に火をつけ、白痴になれ』は、『闇の女たち』の出版イベントで、知人の女性が、「松沢さんと同じようなことを言っている」として、進呈してくれたものです。伊藤野枝が私と同じようなことを言っているという意味か、著者の栗原康が同じようなことを言っているという意味かは忘れましたが、どっちの意味でも正しい。

村に火をつけ、白痴になれ』を読んでから、拙著『闇の女たち』を読むと、そのことがよりわかりやすいかと思います。あとは、ここまで「ビバノンライフ」で書いてきたことを読むと、すべてつながるはず。

 

 

伊藤野枝から花園歌子へ

 

vivanon_sentenceでは、「ビバノン」の復習編。

伊藤野枝を継承した存在がいなかったわけではありません。たとえばそれはモダン芸者の花園歌子です。花園歌子は伊藤野枝の書いたものを読んでいますし、影響も受けています。

 

 

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