松沢呉一のビバノン・ライフ

児童陵辱ポルノに感動する人々-『親なるもの 断崖』はポルノである 13-(松沢呉一) -2,344文字-

フィクションのルール-『親なるもの 断崖』はポルノである 12」の続きです。

 

 

 

虚構を事実のように見せかける商法

 

vivanon_sentence「なんであれ、遊廓は悲惨だったのだから、その悲惨さを描くための誇張はあり」という意見は無効であり、ノイズにしかなりません。こんなことをしていたら矯風会になりますよ。

「嘘を紛れ込ませないと、その悲惨さを描けない」というのであれば、現実は悲惨ではなかったことになり、問題がどこにあったのか見えなくなるだけです。現実と願望を混同してはいけない。

占領の記憶/記憶の占領―戦後沖縄・日本とアメリカ「史実のように見せかけたフィクション」は「ビバノンライフ」でもたびたび取り上げてきています。

マイク・モラスキーが「三流小説」と評している創作物が、戦後間もない時期には本物の手記かのような体裁で複数出版され、売れています。ただの小説であればつまらないとされて売れない。しかし、事実であるかのように装うと売れてしまう。

また、盗用した内容に創作を加えて残酷話に仕立てた例についても念入りに説明しました。こういうものを今なお研究者でさえ使っている現実。ノイズ以外の何ものでもない。

これらと同様、『親なるもの 断崖』は、フィクションでありながら、その内容が事実であるかのように見せかけたあざとい商売です。

ちょっと検索すればわかるんですから、「騙される方も騙される方」という言い方もまた正しくて、そういう読者がいなければこの商売は成立しない。批判する人たちが多ければ、こんな漫画は出てこないのです。そういう意味では、読者もまたこのあざとい商売に加担し、ノイズをまき散らしていることを自覚して欲しい。

 

 

歴史小説の場合

 

vivanon_sentenceこの件については、何人かの出版関係者と話しています。

以下は歴史小説を担当することもある編集者の見解です。

「人によりけり、ジャンルによりけりだと思いますが、歴史小説であれば、まず作家が十一歳で娼妓になるなんて話は書かない。もし書いてきたら編集者が指摘をします。編集者が指摘しなくても、校閲が指摘するでしょう。もしそのまま出てしまったら、読者が指摘してきます」

フィクションである歴史小説であっても、現実に起こりえないことは書かないし、書かせないってことです。編集者や校閲は、自分がわかっていないことは調べて、あり得ることかどうかを判断します。

 

 

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