松沢呉一のビバノン・ライフ

波木井皓三著『大正・吉原私記』より-「白縫事件」とは? 2-(松沢呉一) -4,350文字-

今も起きているかもしれない事件-「白縫事件」とは? 1」の続きです。

 

 

 

ウィキペディアの記述を訂正する

 

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では、「白縫事件」とはなんだったのかを見ていきますが、購読者ではない方々のため、ウィキペディアの「白縫」の項のどこが不正確なのかを先に書いておきます。ここに挙げた内容は、以降、具体的に見ていきますので、購読者の方々はこの部分は飛ばしてください。

改めてウィキペディアの「白縫」の項

 

本名は山中つる惠で広島高等女学校を卒業し、最初は東京新橋で芸妓「小美野」として在籍したが母親の借金により吉原の貸座敷「角海老楼」へ娼妓として移籍 した。1914年4月、白縫は風邪で療養していたが、楼主らよって起こされ、明治以降途絶え大正博覧会開催を契機に復活した花魁道中に無理やり参加させられた。肉体的、精神的苦痛を受けた白縫は、1915年4月10日、客として来ていた相場師の紹介により、銀座の救世軍本部へ自動車に乗って駆けつけ救済を 求めた。その時の担当であった伊藤富士雄と共に警察に赴いたが、その後角海老の楼主に連れ戻されそうになった。しかしながら白縫は抵抗し自分の境遇と廃業理由を訴え、交渉の末、廃業が受理され自由の身となった。 その後、救世軍の山室軍平は当時の警視総監・伊沢多喜男に花魁道中廃止の陳情を送り、道中は禁止された。その事件は廃娼運動を活発させ、それを題材にした 作品が世に出回った。 白縫はその後、自分の借金の一部を支払ってくれた男性と結婚し広島に帰郷した。

 

以下は、間違い、あるいは不正確な記述。

 

●「本名は山中つる惠」

→細見には、白縫の本名が「山中つるゑ」と書かれているのだが、どうして「ゑ」が「恵」であるとわかったのか不明。「恵」かもしれないが、もともとひらがなかもしれないし。

「最初は東京新橋で芸妓「小美野」として在籍したが母親の借金により吉原の貸座敷「角海老楼」へ娼妓として移籍した」

→母親がたびたび妓楼に金を借りに来ていたことは書かれているが、娼妓になった理由が「母親の借金」だったとは沖野版にも吉屋版にも書かれていない。母親が前借を受け取ったのだろうと推測できるだけで、その時点で母親に借金があったかどうか不明。

大正・吉原私記 (シリーズ大正っ子)●「白縫は風邪で療養していたが、楼主らよって起こされ明治以降途絶え大正博覧会開催を契機に復活した花魁道中に無理やり参加させられた

楼主がやめさせようとしたにもかかわらず、自分には出る権利があると主張して、自主的に花魁道中に出た。

→「明治以降途絶」は「明治以降途絶えていた」等かと。原文には「二十年来」とあって、この前の花魁道中は明治28年のもの。ちょうど20年ぶりになる。前回出した写真はこの時のものだろう。

●「客として来ていた相場師の紹介により、銀座の救世軍本部へ自動車に乗って駆けつけ救済を求めた

→相場師と白縫との間には、最初から身請の約束ができていたと思われる。また、相場師は「紹介」などしていない。入れ知恵をしただけ。

●「その時の担当であった伊藤富士雄と共に警察に赴いたが、その後角海老の楼主に連れ戻されそうになった

→吉屋版では、白縫は伊藤富士雄を指名していることから「紹介」と思ったのだろうが、伊藤富士雄は救世軍の士官として有名だったために名前を出していて、たまたま担当したわけでもない。

→楼主は連れ戻そうとした事実はなく、むしろ、「出ていって欲しい」という態度であった。ただ借金の踏み倒しはやめて欲しいと頭を下げている。

●「廃業が受理され自由の身となった

→これ自体、間違ってはいないのだが、内実は借金を半額にして相場師に月賦身請されたもので、月賦身請の場合、完済して廃業するため、廃業したのはこの4ヶ月後。

●「白縫はその後、自分の借金の一部を支払ってくれた男性と結婚し広島に帰郷した

→この「男性」は相場師のことであり、入れ知恵をした人物。同一人物であることに意味があるのに、なぜか、わざわざ別人であるかのように処理している。

→原文では「晴れて結婚となり、いったん郷里の広島に帰る」とあるので、広島に帰郷したのは、結婚の際の挨拶なり、準備なりのための一時帰郷だとわかる。男は蛎殻町に住んでいた、あるいは職場が蛎殻町だったのだから、白縫は結婚後も東京にいたのだと思われる。

●「その事件は廃娼運動を活発させ、それを題材にした 作品が世に出回った

前回説明した通り、白縫を題材にした作品が出回った事実はないはず。

→「活発させ」という日本語が変。

 

現実にどうだったのかを今になってから確認することはほとんど不可能ですけど、ウィキペディアの記述が元ネタにしている波木井皓三著『大正・吉原私記』と照らすと、以上のようになります。タイプミス、うっかりミスはしゃあないとして、話の根幹になる部分が理解できなくなっているのです。

入れ知恵した人物とのちに結婚したとなると、最初から借金を踏み倒す計画だったろうことが見え見えなので、別人物かのように見せたのでしょうけど、事実は事実。「そうであって欲しい」という願望と「そうであった」という事実の区別がつかない人はウィキペディアへの書き込みをやめた方がいいと思います。

※書影は現在も販売されている新装版の『大正・吉原私記』。

 

 

花魁道中が虐待だと主張

 

vivanon_sentence以下、吉屋信子著『ときの声』(「吉屋版」)を引用した波木井皓三著『大正・吉原私記』からの孫引きが続きます。「(中略)」とある部分は波木井皓三によるものです。ルビはカッコで処理しました。

 

 

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