ハラスメントと言い得るのは一部だけ-下戸による酒飲み擁護 3- (松沢呉一) -2,981文字-
「酒とゲロの日々—下戸による酒飲み擁護 2」の続きです。
意思表示ができない人は存在を認識されない
このシリーズを始めてから、「あんな話もある」「こんな話もあった」と酒がらみのネタを皆さん送ってくれているのですが、こういうのは笑って済ませられる範囲じゃないとさ。
清義明や木野トシキは笑える範囲。その向こう側に行くと、仕事を失う人が出てきたり、こっちが名誉毀損で訴えられたりして、シャレにならなくなるので、酔っぱらいのエピソードはこの辺にしておきます。「自分のことを書かれるのではないか」とドキドキしていた方はご安心ください。
ここまでは前振り。これからが本題。
「意思表示ができる社会に。その意思表示を尊重できる社会に」と以前から言い続けてきた私にとって、「積極的合意—yes means yes」シリーズは非常に意義のある内容でした。すぐには無理でも、ああいう試みができる社会を目指すべきだと思います。
均質な人々が集まる社会では、その均質性から外れない行動が美徳であり、そうしている限り損をしませんでした。その均質性を保つため、ひとたびそこから外れると叩かれる。
しかし、多様な人々が集まる社会では最初っから均質性など期待できず、意思表示が必須であり、意思表示ができないと損をする社会になります。
「私は何者であるのか。私は何を考えているのか」を表示しない限り、他者は自分を理解してくれない。そこから信頼関係を築くこともできない。その程度もできない人は無視されるだけ。
多様性のある社会では意思表示は必須
「あなたと私は同じかもしれない。しかし、違うかもしれない。互いに意思表示をしないとわからない社会」に確実になってきています。
たとえば同性愛者を存在しないように扱う人は今でも多いでしょう。「彼女はいないの?」「結婚していないの?」と相手がヘテロであることを前提にして質問をする。
しかし、周りに同性愛者がいることを前提にするためには、いることを認識する過程が必要です。それには当事者の意思表示が必須です。「ここにゲイがいます」「私はレズビアンです」と意思表示をしないと、他者は認識しない。その数が増えてくれば、自然と社会は、その存在を意識していく。カミングアウトが重要ってことです。
同じ町の出身者たちとだけ付き合えばいい時代ではない。また、誰もが中流意識を持てていた時代とは違いますから、育ってきた環境も違う。
ここに外国人が入ってくればいよいよそうなるのですから、この国は早く「ムラ」から脱すべきだと思います。そのためには意思表示する習慣を確立する必要がありましょう。
しかし、そのことを理解さえできない人たちが多いように思います。他者に依存し、社会に依存する発想がとことん身についてしまっているのだろうと想像します。
酒を飲まないからと言って仲間だと思ったら大間違い
「積極的合意—yes means yes」シリーズの「酒を飲んでのセックスは厳禁」を告知したFacebookの投稿に対して、「男女関係のみならず同性同士であってもアルコールハラスメントがひどいのが日本の実情」というコメントがつきました。
それに対して、私は以下の返事を書きました。
体育会系はともあれ、私のように飲まないことを宣言していると、無理矢理飲ませるなんてことはなくて、飲みたくない人は断固断るようにすればさして問題はないようにも思います。他者に自分を尊重してもらいたいのなら、まずは意思表示ができるようにすることが必要かとも思います。「積極的合意」もそういうことでしょう。YESはYES、NOはNO
yes means yesシリーズの趣旨を踏まえた内容です。
(残り 1556文字/全文: 3145文字)
この記事の続きは会員限定です。入会をご検討の方は「ウェブマガジンのご案内」をクリックして内容をご確認ください。
ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。
会員の方は、ログインしてください。
外部サービスアカウントでログイン
Twitterログイン機能終了のお知らせ
Facebookログイン機能終了のお知らせ