酒のメリット・デメリット—下戸による酒飲み擁護 10- (松沢呉一) -2,601文字-
「アルコール依存症とAAとセックス—下戸による酒飲み擁護 9」の続きです。
人間は厄介
前回書いたように、アルコール依存症は厄介です。T君の場合は、うまく立ち直れましたが、AAに通ったからと言って、誰もがうまくいくわけではなく、顔を見せなくなった人はたいていスリップしていて、また戻ってくる人もいれば、そのまま亡くなってしまう人もいます。
他の依存症も厄介です。薬物依存で死んじゃった知人もたくさんいます。
人間というのは厄介なのです。清く正しく美しく生きられるような人はそうすればいいとして、そうはできない人たちがいるのだし、だらしがなくて、不健康で、馬鹿でどうにもならない人間がいるから、この世の中は面白い。その厄介さとどう付き合うのかが生きることのテーマです。
誰もが何かに依存をしています。清く正しく美しい社会を求める人たちは宗教に依存していたりします。それも十分厄介で、時に迷惑です。
その依存が過ぎると社会生活を営めなくなりますが、自分で解決できないからといって、その依存対象を規制すればいいという発想は解決を遠ざけます。
タバコを1本100円して吸いにくくすると、「だったら違法な薬物と変わらない」と判断する人たちが出てきます。
他者に迷惑をかけにくく、自分を破壊しきらない程度でコントロールできる依存対象を残した方がいい。酒も時に他者に迷惑をかけ、自分を破壊することがありますが、だからといって「なくせばいい」とはならない。ストレスが溜まって狂う人が続出します。
他者の思いやりに依存する発想
酒がある以上、アルコール依存症になる人は出てくる。その結果、仕事や家族を失うような人たちが出てくる。それをケアする仕組みは必要。私もけっこうケアしてますけど、これは知人がそうなってしまうからやむを得ずであり、私ではケアしきれない。
その上で飲みたくない人は飲まなくていいし、飲みたい人は飲みたいだけ飲めるようにするのが理想。一気飲みを楽しみたい人たちが楽しめるようにした上で、飲みたくない人は飲まないようにする確実な方法は、飲みたくない人が「飲まない」と意思表示することだし、周りはそれを尊重するってことです。まさにno means noです。
アルハラだと騒ぎ立てる人たちが見ようとしないのはここです。気の弱い自分の改善が、もっとも確実な解消法にもかかわらず。気の弱い自分をそのままにして、黙っていても酒を飲まなくていい社会を求める。こういう発想自体、依存的です。
もし断っていい場でも断れず、酒を飲んでから断れなかったことをあとになって後悔することを繰り返しているというのであれば、すでに医療の領域に入っているのだと思います。病院に行くべし(これは皮肉や冗談で言っているのではなく、依存性人格障害の可能性もあると思います。これについてはもうちょっとあとで)。
(残り 1512文字/全文: 2736文字)
この記事の続きは会員限定です。入会をご検討の方は「ウェブマガジンのご案内」をクリックして内容をご確認ください。
ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。
会員の方は、ログインしてください。
外部サービスアカウントでログイン
Twitterログイン機能終了のお知らせ
Facebookログイン機能終了のお知らせ