松沢呉一のビバノン・ライフ

その先にある社会のために—アライとサポーター 3(松沢呉一) -2,600文字-

なぜアライを支援者としかとらえられない人たちがいるのか—アライとサポーター 2」の続きです。

 

 

過程としての連携

 

vivanon_sentence前回書いたように、テーマによって関わり方が違って、支援者であることもあれば、同盟者であることもある。ってことで話は終わってもいいのですが、もう一歩進んで考えてみましょう。蛇足ですけど、蛇足が大事かも。

知人がHIVに感染した時、その個人との関わりで支援者として関わることには無理がない。

しかし、研究者だと、スタンスは違ってきます。人によっ ては研究者としての好奇心、人によっては研究者としての野心、人によっては研究者としての使命で、ただただHIVの研究をするだけのことです。

HIVが男性間性交渉、あるいはMTFと男性間で感染しやすい病気のため、その研究は結果それらの人々に寄与する。製薬会社の人たちもそうです。生活のためにただ仕事としてやっていても結果寄与する。

ここまでだと、ただの「仕事」「業務」であって、「味方」とまでは言えないかもしれないけれど、これが顔の見える関係になると、仕事であっても「味方」になってくる人たちが出てきます。

※今回も写真はTRP2016より

 

 

目的が違っても味方足りえる

 

vivanon_sentence医療現場に従事する人たちとなると、あくまで目的が治療にあるのだとしても、それぞれのセクシュアリティに考慮する人たちが出てきます。

さらには、当事者たちの意見を聞いて、より多くの人が困難を伴わずに、検査をし、治療をする環境をつくろうとする人たちが出てくると、目的は医療であっても、横につながり、連携、連帯することが可能になります。

ここまで至れば「味方」。つまりはアライと認識されてこようと思います。今でも医療関係者全体の中では少数であり、あえてそうする人たちは味方でしょう。

医療関係者は、ことさら同性愛者の幸せを考えているのではなく、セクシュアリティへの理解までは必要として、共感までは必要がない。あくまで目的はHIVという病気の克服です。しかし、その局面において「味方」という状態が成立します。

目的が同じだから同盟を組むことがあるし、目的が違っていても、ある局面では同盟を組める。同盟ってそういうもの。

二丁目の店に酒を卸しているメーカーの営業マンが会社に働きかけて、TRPの前身である「東京プライドパレード」のパンフに広告を出したのが、一般企業がパンフに広告を出した最初のケースじゃなかったでしたっけ(いい加減な記憶)。

この担当者は単に「このマーケットに食い込んでいた方がいい」「いつも世話になっているのでおつきあいで」と思っただけかもしれないけれど、支援とはまた別の連帯、連携が成立していて、社会を変える一助になり、「味方」な感じがします。

それが商売としての計算なのだとしても、むしろ、支援なんて意識がないビジネスだからこそ、同盟、提携という意味がくっきりする。目的は違うのだけれど、ある局面では横につながれるのです。

※その後は、LUSH、GAP、Alfa Romeo、Googleなど、外資系の企業の参加する中、国内企業としてチェリオが全面参入し、今年は資生堂も参加。資生堂のブースは大人気でした。人がいっぱいだったため、ブースの中がうまく撮れなんだ。野方ホープのように、企業の経営者、担当者がLGBTであるケースもありますが、多くの場合は関係なし。アライです。

 

 

なぜ弁護士は支援者と言われないのか

 

vivanon_sentenceたとえばゲイの知人が、そのことを理由に会社を解雇されたとしましょう。この場合、私は支援者として関わることに抵抗はないし、そう呼ばれることにも抵抗はありません。

彼が「訴訟を起こして、このことを社会に知らしめて、会社を懲らしめたい」というなら労働組合を紹介し、弁護士を手配し、カンパを集め、マスコミにリリースを送るなどの支援をしましょう。

でも、「会社側が退職金に加えて慰労金という名目でいっぱい金をくれるというので、それを受け入れて、訴訟はとりやめた」というなら、そこまでの話。彼自身のことですから自分で決定すればいい。

あるいは知人がHIVに感染したとか、親との間にトラブルが生じたとか、個の問題においては、おおむねサポートの側で関わることが多いと思います。同じセクシュアリティでもそうだろうと思います。

しかし、この時に、弁護を引き受ける弁護士が現れたとします。彼は支援者とはあまり言われないと思います。この時に限らず、弁護士を支援者扱いはしないのが通例です。

報酬を受け取る、つまり仕事としてやっているのであれば、そこに一線があることがわかりやすいのですが、手弁当であっても、支援者とは言われない。なぜでしょうね。

 

 

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