松沢呉一のビバノン・ライフ

道徳に反する者の裁きは神の手に委ねよ—道徳派の手口 3(最終回)-[ビバノン循環湯 140] (松沢呉一) -5,440文字-

事実より道徳が大事—道徳派の手口 2」の続きです。

誤解されそうなタイトルですが、これは「道徳に反するものの処罰は法の領域ではなく、神の領域である」という意味の言葉です。宗教国家は道徳と法が合致してましょうが、近代国家の法は道徳を定めたものではないのです。それを理解している宗教家もいるわけですけど、この日本では道徳を定めた売防法が今なお残っています。

 

 

曖昧な基準で海外を利用

 

vivanon_sentence前回見たように、戦前から、廃娼派は「虚構の海外」を持ちだしていた。

戦後の売防法制定においても海外を引き合いに出す戦法が続けられたことは『売る売ら』でも指摘した通りで、伊藤秀吉の「売春処罰法の必要」もまたその典型と言えそうだ。

しかし、これが間違いだらけであることは、皮肉にも同じ「性問題の研究」2号の特集「売春問題をめぐって」に掲載された谷口辰樹「罰する国と罰しない国」という原稿で明らかにされている。

伊藤秀吉の文書では、先進国ではすべてが妓楼つまり管理売春を禁止し、売春そのものも、いくらかの条件がつく例があるとはいえすべてで禁止しているように読める。

ところが、谷口辰樹「罰する国と罰しない国」によると、フランス、イタリア、ドイツ、スペインでは、仲介業者の存在、つまり伊藤秀吉がいう「妓楼」は禁止しているものの、売春そのものの禁止規定はない。

また、スイスやソ連は、勧誘と性病蔓延の禁止でしかなく、直接売春を取り締まる法律はない(これらについては、おおよそ他の資料でも確かめられる)。

「どっちが本当か?」ということになるが、こういうことはよくある。「売春を禁止している国/禁止していない国」という判断は何を基準に決定するのかの違いだ。

「売春行為のすべてを禁止している国」のみをカウントするのか、「売春のうちのある業態を禁止している」というだけで「禁止している」とするのか。国の法律で禁止していることを「禁止している国」とするのか、ある特定地域で禁止していれば「禁止している国」にするのか。さらには、その法が実際に機能しているのか否かを含めると、180度違う評価になってこよう。

その基準が明確であればいいのだが、明確にしないまま「禁止している/していない」を不明瞭な基準で分類するため、人によってバラバラになってしまい、同じ個人の中でもバラバラになる。

 

 

まともな宗教者もいる

 

vivanon_sentence谷口辰樹もまたこれに陥っている。

イギリスについて、「第二五六章『怠惰にして秩序を乱す者』の項で『娼婦であって公路、公道又は盛り場を徘徊し、淫蕩又はわいせつな行為をする者は、二年以下の重労働を伴う禁固に処す』と規定し」と書いており、売春そのものを禁止している国に数えているが、「別冊週刊サンケイ」(1957年・昭和32年2月)「特集・赤線地帯」掲載「基本的人権のお国から」という記事では、「イギリスでは売春そのものは犯罪とみなされず、なんら罰せられない」とあり、交通妨害として街娼を取り締まることができるだけで、しかも安価な罰金だけとなっている。

たしかに「娼婦であって公路、公道又は盛り場を徘徊し、淫蕩又はわいせつな行為をする者」という文言からすると、街娼の業態を指しており、これだけが違法のようである。娼家やコールガール方式はこの時点では禁じられていなかったのではなかろうか。

別冊週刊サンケイ」のこの3ページの記事は、署名がないのに、文末に「評論家」という肩書だけあり、目次にも署名は出ていないが、しっかりロンドンで取材をしている。

売春自体は取り締まれないため、売春のための個人広告が堂々新聞販売店に貼られているのを見ていて、そういった売春婦に話を聞いているくらいで、法律がどうあれ、とても売春禁止国に数えられるようなものではない。

また、イギリスの教育関係者のこんなコメントも出ている。

 

基本的な人権として、かの女たちには職業を選択する自由があるのです。それが他人に迷惑を及ぼすものでない限り、法律が人の行動を束縛するのは正しくありません。かの女たちの選んだ職業が、道徳的に間違ったものであれば、そのほうの裁きは、神の手にゆだねるべきものでしょう。そして私たち、宗教にたずさわるものは、神の意志に反した行為をしているものに、神の意志をつたえ教え、正しくめざめるように努力しなければならないのです。

 

近代法の理念を踏まえた宗教者の言葉である。宗教者にもいろいろってことだ。

この「別冊週刊サンケイ」は、売防法制定以降に出されたものである。どうして、制定以前にこういうことをしっかり報道しなかったのだろう。

 

 

米国は売春自体を禁じていない

 

vivanon_sentence谷口辰樹は、「米国は一九二〇年シカゴから始まって全米の一掃となり」と書いていて、アメリカを売春禁止の国に数えているが、これも正確とは言えまい。

人身売買や売春者の移動を禁じた「マン法令」(1910年制定)や軍の近隣での売春を禁じた「メイ法令」(1941年制定)が連邦法となっているが、それ以上の娼家の禁止や売春行為そのものの禁止は州法でしかない。たしかに多くの州では管理買春は禁止されていたが、この時点で、少なくともネバダ、アリゾナは娼家での売春も合法だった。

マン法によって、別の州から売春婦を呼び寄せたり、募集することはできないが、州内で集める分にはかまわない。また、管理売春を禁止している多くの州でも、単純売春は禁止していないところが多数派のはずだから、これを売春禁止の国と数えるのはおかしい。

州法の存在で米国全体を語っていいのなら、この時点では、日本でも数多くの売春等取締条例があって、勅令九号もあったのだから、特に日本が売春の規制に立ち遅れているとすべきではなかったはずである。

 

 

next_vivanon

(残り 3363文字/全文: 5766文字)

ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。

ウェブマガジンのご案内

会員の方は、ログインしてください。

« 次の記事
前の記事 »

ページ先頭へ