松沢呉一のビバノン・ライフ

母性保護論争とエレン・ケイ—共感できるフェミニスト・共感できないフェミニスト 8-(松沢呉一) -4,597文字-

発禁・逮捕・暗殺—共感できるフェミニスト・共感できないフェミニスト 7」の続きです。

 

 

 

母性保護論争はエレン・ケイをめぐる論争

 

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日本の初期婦人運動で最重要の論争が「母性保護論争」です。

ウィキペディアの「母性保護論争」のまとめはずいぶんあっさりしていますが、ざっとこういう論争です。

 

 

母性保護論争(ぼせいほごろんそう)は、1918年から1919年にかけて、働く女性と子育てについて繰り広げられた論争。女性の社会的、経済的地位の向上の方法論をめぐる与謝野晶子と平塚らいてうの議論から始まり、のちに山川菊栄、山田わかが合流して繰り広げられた。

平塚らいてうは、国家は母性を保護し、妊娠・出産・育児期の女性は国家によって保護されるべきと「母性中心主義」を唱える。

それに対し、与謝野晶子は国家による母性保護を否定。妊娠・出産を国庫に補助させようとする平塚らいてうの唱える母性中心主義を、形を変えた新たな良妻賢母にすぎないと論評し、国家による母性保護を「奴隷道徳」「依頼主義」と難じた。「婦人は男子にも国家にも寄りかかるべきではない」と主張した。

女性解放思想家山川菊栄は、与謝野と平塚の主張の双方を部分的に認めつつも批判し、保護(平塚)か経済的自立(与謝野)かの対立に、差別のない社会でしか婦人の解放はありえないと社会主義の立場から主張。

そこへ良妻賢母主義的立場から山田わかが論争に参入する。「独立」という美辞に惑わされず家庭婦人(専業主婦)も金銭的報酬はもらっていないが、家庭内で働いているのだから誇りを持つべきと主張した。

この論争には島中雄三、山田嘉吉(山田わかの夫)ら男性も加わり、新聞にも賛否様々の投書が送られた。

 

 

母性偏重を排す 私が「母性保護論争」をまとめたものを最初に読んだのは大学の時だったと思います。その後も別の本で読んでいるのですが、「母性保護派」の背景にあるのはエレン・ケイとされていて、長らくエレン・ケイの主張をそのまま移入したものだとばかり思ってました。

しかし、婦人解放思想を紹介したものを読んでいたら、エレン・ケイは母性偏重論者であり、「良妻賢母」思想家であることは事実だとして、「どうやら、それだけではないぞ」と気付き始めます。

たしかにエレン・ケイは恋愛結婚を称揚し、母性を高く評価、国家や社会に対して、その保護を求めているのですが、ただの「依頼主義」「依存主義」ではなくて、同時に「女の自由」「個の自由」を求めている側面があるのです。

 

 

エレン・ケイと優生思想

 

vivanon_sentenceエレン・ケイの主要文献は国会図書館で読めます。伊藤野枝が訳した「恋愛と道徳」は『婦人解放の悲劇』に収録されており、青空文庫でも読めます(実際に訳したのは辻潤だという説もあり)また、同文は本間久雄訳『婦人と道徳』(大正2年/1913)にも収録されております。

婦人解放の悲劇」の序文を読むと、伊藤野枝のエレン・ケイに対する評価がはっきりわかります。序文のほとんどはエンマ・ゴルドマン(エマ・ゴールドマン)に対する共感の言葉であり、エレン・ケイについてはついでに書き添えられているだけです。

伊藤野枝はエマ・ゴールドマンだけで一冊にしたかったのでしょうけど、文字数が足りなかったのかもしれない。あるいはアナキストの論文だけで一冊にするのは危険だと考えたのかもしれない。婦人解放思想を否定しているかのように思えるタイトルにしたのもまた発禁逃れ臭い。

 

 

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