女性解放運動は売防法制定で敗北した—共感できるフェミニスト・共感できないフェミニスト 11-(松沢呉一) -2,896文字-
「「産めよ殖やせよ」体制を支えた婦人運動—共感できるフェミニスト・共感できないフェミニスト 10」の続きです。
志賀暁子の堕胎事件
昭和11年(1936)にはダンサー出身の女優・志賀暁子が堕胎事件で逮捕されています。阿部定事件と同じ年です。
当時の雑誌では大々的にこれが報じられていて、裁判の傍聴記が月刊誌の連載になっていたりします(文藝春秋社の「話」など)。
執行猶予付きの温情判決ではありましたが、相手の映画監督は名前を出されてはいても、もちろんお咎めなし。対して志賀暁子は他の男関係も暴かれ、その行状も非難されます。既婚者が夫の子どもを堕ろしたのであればまた違ったのでしょうが、独身であったがために袋だたきにされたわけです。
疑いのない犯罪ですし、昭和11年ともなると、表現の規制が強まって、そうそうこれを擁護することはできなかったはずですが、それでも菊池寛らは志賀暁子に同情的な意見を寄せています。
個人を擁護するのは難しいとしても、「このような悲劇が起きたのは、避妊の知識を伝えることができないことに原因がある」と婦人運動家たちが政府の姿勢を批判してよかったはずですが、宮本百合子がいくらかの同情をもってこの件を取り上げているのを見つけたくらい。
母性を重んじる婦人運動家たちは「産めよ殖やせよ」体制に向かっていて、女個人の服装や化粧までに口出しするようになってましたから、こんなふしだらな女を擁護する気はさらさらなく、国の方針と頭の中は同じなので、避妊方法を伝える意味も感じていなかったのではなかろうか。
婦人運動が獲得した最大の権利は「女も戦争に参加する権利」
山田わかのような良妻賢母派が戦争に協力したのはわかるとして、現実には市川房枝、奥むめお、山高しげりら、婦選獲得同盟のメンバーが「女ファシスト」に化していきました。
これにはおそらく意味があって、婦人運動家たちの中では、女の社会進出を求めていた層なのだろうと思います。奥むめおが女たちを戦争に駆り立てていく文章は気分が悪くなりますが、それ以前の奥むめおは優れた女性解放理論家であり、鋭利な頭脳の持ち主だと私には思えます。
だからこそ、「なのになぜ」という疑問が生ずるのですが、米国型女権運動に賛同する人たちは、戦争によって女たちが社会進出を実現することをよしと考えたのではないか。
個人主義が消えたこの国では、どっちの派も戦争を押し留めることができず、それどころか自ら戦争に協力していったのでした。
婦人参政権が実現したのはGHQのおかげですから、戦争が終わるまでに日本の婦人運動が獲得した最大の「女の権利」は「戦争に参加すること」でした。
※国策研究所調査部編『戦争と人口問題』(昭和17)は、戦時においていかに人口を確保するのかを論じたもの。ここでは「避妊防止」が論じられている。「妊娠防止」ではなく、避妊することを防止する「避妊防止」。山田わかと考えていることは同じ。
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