松沢呉一のビバノン・ライフ

陰毛は見つからず—『イザベラ・バードの日本紀行』雑感 1- (松沢呉一) -3,124文字-

※「イザベラ・バードが描く農村の貧困—エレン・ケイの思想(のある部分だけ)を再評価する 5」の続きです。

 

 

 

該当する記述はなし

 

vivanon_sentenceイザベラ・バードの日本紀行』(講談社学術文庫)をすべて読み終えたのですが、これをもとにしているはずの佐々大河の漫画『ふしぎの国のバード』に出てくると聞いた男の陰毛処理の話は出てきませんでした。漫画のその部分は確認できましたが、バードが混浴の風呂に入ったら、男が石で陰毛を切っていて、ビックリするというもの。

はっきりしないのですが、現実にはバードは混浴の風呂に入ってさえいないかと思います。

温泉や風呂の話は何度か出てきて、比較的詳しく説明されているのは山形県の赤湯温泉です。

四本の通りが交わっている最も人の多い場所には浴場小屋があり、男女両方の人々でぎっしり込んでいて大きな水音がします」とあります。

「同じ浴室が男女両方の人々でぎっしり」だと考えれば混浴なのだと判断できますが、「男女それぞれの浴室が」と考えることもできるので、どっちなのかはっきりしません。

バードはここには入ってませんから、「大きな水音」は外に漏れでた音だと推測できます。温泉地の共同浴場は簡素な小屋だったりしますから、外からも脱衣場が覗けて、入口周辺に人がいっぱいいる様子をこう表現しただけではなかろうか。よって、混浴かもしれないし、そうではないかもしれないし。

バードには赤湯温泉は騒々しすぎたようで、ここから少し離れた上山(かみのやま)という保養地まで移動し、日本庭園にある蔵が客室になった部屋に泊まります。この蔵の中に温泉が引いてあり、バードはここで温泉を堪能。

今もそのままこの部屋が残っているんだったら、「泊まりてえ」と思いましたが、この旅館自体、残っていないよう。しかし、この周辺にはバードの石碑があったりして、行ってみるのはいいかもしれない。

※他に奥日光の湯元温泉が詳しく紹介されていますが、こちらは自身が湯に入ったとの記述もなし。

 

 

イザベラ・バードのバイアス

 

vivanon_sentenceいまさらこの本で読む必要のない、地理についての説明や神社仏閣の由来は飛ばしたところもありますが、長くても1ページか2ページ程度であって、そんな中に唐突に風呂で男が陰毛処理をしていたのを見たなんて話が出てくるとは思えません。

バードは熱心なクリスチャンです。宗教で文化を量る意識が強く、仏教には興味を抱きつつも理解はできず。神道に至っては宗教としてほとんど価値を置いていません。神道は体系なき宗教であり、原始的な多神教という評価は間違っていないかと思いますが、バードは時に蔑視とも言える視線を投げかけています。

アイヌの工芸や人柄については好意を抱きながら、しばしばアイヌを貶める表現をし、これも西洋基準で見た時の物質、精神両面の文化の発達がないことが評価軸のひとつとなっていそうです。

ただし、時代的には「未開人」に対する標準的な評価であり、とくに「バードは」ということではないかと思います。そのことは、通訳の伊藤がバードの比較ではなく、あからさまな侮蔑を口にすることを見ればよくわかり、むしろバードは日本人一般よりはるかに優しく、人としての接し方をしています。

バードはほとんど常にキリスト教についてはひたすら礼賛。日本のキリスト教会も訪ねて、宣教師と会ったりもして、日本でキリスト教が禁じられなくなり、今後キリスト教が日本でも発展していくことを期待しています。その内面は宣教師と変わらない。

つうか、バードって、そういう役割で日本に来ていたのではないかとも思えます。なぜ東北、蝦夷を選んだのかも、なぜああも詳細な記録を残していたかも(戸数までカウントしています)、そう考えると納得しやすい。布教地として日本は可能性があるかどうか。

その上、ヴィクトリア朝のクリスチャンの女性でありますから、もし日本人の男が陰毛処理をしているところを見かけたとしても、記述しなかったのではなかろうか。

※この書影が最初に出た“Unbeaten Tracks in Japan”の表紙のよう。このあと簡易版が出ていて、簡易版の翻訳が『日本奥地紀行』ということのよう。

 

 

バードの記述から欠落したもの

 

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