松沢呉一のビバノン・ライフ

ゲイを抑圧するゲイの仕組み—なぜ他者の性を否定しないではいられないのか 6-(松沢呉一) -2,837文字-

他人が自分と同じじゃないと不安になるムラ思考—なぜ他者の性を否定しないではいられないのか 5」の続きです。

 

 

 

同性愛を否定しないではいられない人々の内実

 

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自分の知っているセックスの素晴らしさを喧伝することはあるとして、不思議なことに、他者の性を否定しないではいられないタイプの人たちは自分の下半身を晒そうとしない傾向があります。そんなもんを晒すも晒さないももちろん個人の自由ですけど、そうも素晴らしいセックスをしているのであれば、その素晴らしさを人に伝えればいいのに、それはやらない。

「私の問題」を「私」という主語で語れない人たちの問題は、『魔羅の肖像』以来、ずっと指摘し続けていますが、こういう人たちがゴロゴロいる。「私の問題」を「私」を主語にして語れないのに、「社会の問題」になると、「私はできない」とか言い出してしまう。自他の区別ができず、社会のフェイズで自己が救済されないと納得できないみたい。気味が悪い。

おそらくそこにも不安や恐怖があります。自身と向き合うこと自体ができない。それでいて他者には介入したがる。「それでいて」じゃないか。不安や恐怖があるから、不安や恐怖を自分に与える他人に介入したがるのです。

「自分の下半身も語れないのに、他人の下半身を偉そうに語るな、ボケ」と私だったら罵倒してやります。

花房さんが挙げたような他者の性を懸命に否定しないではいられない人たち、朝日新聞の記者のように、その果てに他者の精神に問題があるかのようなことを言う人たち、道徳を振りかざして他者を否定しながら、裏では反道徳的行動をする人たちの内面まで正確に知ることは不可能ですが、この人たちが何者であるのか、同性愛を例にしてもう少し考えてみましょう。

※「くっきりと見える世代の差」に書いたキリストのイラストを使ったプラカードをもっていたグループが配布していたステッカー。プロテスタントのようですが、「梃銅製」という意味がわからん。教団自体も同性婚賛成派なのか、彼らは教団に背いているのか不明。

 

 

 クローゼットなゲイこそがゲイを抑圧する

 

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同性愛者を弾圧している人たちは誰であるのか。ひとつは宗教者たちです。ムスリムであれ、キリスト教であれ、原理主義者たちです。韓国でパレードを妨害しているのはキリスト教徒たちが中心。台湾で同性婚に反対しているのも同じ。

宗教だったら、論理も常識も知恵もないのは当たり前ですね。事実もどうでもいい。それらよりも上位にある神の教えや教団の都合が優先されます。

宗教が背景になくても、道徳を信奉する人々です。神話の奴隷。

それ以外にもいるでしょうが、ここで見ておきたいのは、ゲイ自身です。昔も今も、クローゼットなゲイが、同性愛の行動、権利を否定する例が多数あります。

私は未見ですが、こういう映画も作られています。

 

 

 

「クローゼット議員」- アメリカの政界に、はびこる偽善に、鋭く迫る話題作!

自身が同性愛者であることを隠し、または否定をしながら、議員活動を続ける政治家たち。アメリカでは、それらの「クローゼット議員」が、LGBTコミュニティの権利獲得運動に対して、ことごとく反対票を投じているのをご存知だろうか?ドキュメンタリー監督のカービー・ディックは、アメリカの大物議員の実名をあげながら、彼らの偽善的な政治活動に、次々とメスを入れていく。そして、ハーヴィー・ミルクとは全く逆の行為に走る、彼らの精神的な背景にまで迫り、クローゼット議員の本質に迫る。

第18回 東京国際レズビアン&ゲイ映画祭 2009

 

アウティングの映画のようです。アウティングについては、「なぜACT UPは表現規制に反対するのか」「武藤貴也議員の報道とACT UP」等で触れてきていますが、この場合は公人である点、政治的判断にそのことが影響している点などからして、暴露も許されようと思います。

なぜゲイ自身がゲイを抑圧するような行動をとるのか。しかも、この場合、「クローゼット議員」は「ことごとく」です。自身をそのまま受け入れ、表明することができないからこうなるのだろうと想像がつきます。

 

 

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