敗戦によってなぜ強い女が求められたのか—エロ表現に見る女傑-[ビバノン循環湯 185] (松沢呉一) -3,240文字-
「スナイパー」の連載から。本年文庫になるのはこの連載ではないのですが、書き下ろし部分で、こういった歴史的経緯にも触れる予定。
戦後のSMはどう変化したか
「奇譚クラブ」がSM雑誌としてリニューアルになり、「風俗草紙」「風俗科学」といった変態雑誌が創刊される昭和二十年代末よりずっと前から、SM的な表現はカストリ雑誌、夫婦雑誌に溢れていたのであります。
とくに注目すべきなのは、戦前のSM表現は、もっぱら男がS、女がMという関係だったのに対して、戦後は、この関係が逆転するSM表現が増えていくことです。つまり、女がS、男がMです。
なぜか今までこのことに着目した人が少なくて、昭和二十年代末になって突然SM表現が横溢するようになったかのように思われていたりもするわけですけど、これだと、どうしてそのような表現を希求する人が急に増えたのかがわからないと思うのであります。
その点、敗戦とともにSMに対する興味、関心が高まったと見ている私にとって解釈は簡単です。なんと言っても敗戦の痛手なのでありましょう。
今回はそのことを例証してみたいと思ってます。
五人の男たちをとっかえひっかえ
『奇抜雑誌』昭和二四年八月号である「情熱号」には、高澤與志夫「五人の男妾をもつ 女社長訪問記」というルポが出ております。
これは深川に住む松田とも子という女性を取材したもの。彼女は三十五歳の美人で、建築請負会社の社長です。
二十五、六歳から土建業を始め、気っ風がよくて男勝りの性格で、仕事もできるために信望が厚く、数十人の部下を使うまでになりました。
この女社長は精力が絶倫で、男なしでは一夜たりとも過ごせず、金を男に注ぎ込み、周囲に男たちをはべらせて、酒池肉林の毎日。
その後は少しだけ落ち着いて、現在は結婚しているのですが、夫は性的に弱く、とても彼女の欲求を満たせず、単なるマネージャー的な存在になって、セックスはありません。
しかし、社長はいろんなタイプの五人の若い男たちを囲って同じ寝室で寝ています。真ん中にダブルベッドがあって、それを五つのシングルベッドが囲み、毎晩必ず五人の男たちと次々にセックスをするのです。
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