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松沢呉一のビバノン・ライフ

ビョークとリリー・アレンの投稿—ビョークが主張する音楽業界のセクシズムは存在するのか? 1(松沢呉一) -3,344文字-

2017年01月07日16時37分 カテゴリ:ことば音楽チャルガ連載ビョークが主張する音楽業界のセクシズムは存在するのか?社会問題性差別音楽


 

 

ビョークの投稿は納得しがたい

 

vivanon_sentenceビョーク(DJ名ビョーク・デジタル)が、ヒューストンで行われたイベントDay for Nightの目玉として登場、「卓の後ろに隠れてDJをやったこと」をメディアに批判され、対してビョークが「セクシズムだ」とFacebookで反論をした記事が昨年暮れに繰り返し流れてきました。

以下のふたつの記事です。

NME JAPAN 「ビョーク、音楽業界における女性差別についての長文のテキストを公開。全文訳を掲載」

FNMNL 「Bjork(ビョーク)が音楽業界におけるセクシズムを告発 | すべての女性が多様であれる世界を求めるメッセージ(全文訳)」

動画を見ると、姿を見せなかったわけではなくて、暗がりでマスクをしていたために、姿が見えにくかったというところでしょうか。音の評価は各自にお任せ。

 

 

 

NME JAPANの記事を一読して、「うーん、セクシズムとは違うものをセクシズムとしてしまっているのではないか」との感触があったので、改めてビョークのオリジナル投稿をチェックしたり、会場にいた人が書いたものを読んだりすることに時間がかかりまして、「音楽業界にセクシズムが存在する可能性がゼロではないとしても、そう断ずるには根拠が薄すぎる」との結論に達して、最初にNMEの記事を読んだ翌々日にやっと以下の投稿をFacebookに出しました。英文も読むはめになったので、こういうのは時間がかかってしまうのです。

 

これ、どうなん?

たとえばポール・マッカートニーが姿を見せずにDJをやっても酷評されることがありそうです。「往年の曲を歌え」「顔くらい見せろ」と。バカテクで知られるギタリストでも、声だけで泣けると評されるヴォーカリストでも同じ。期待されるものを披露しないと失望されることはどうしてもあるでしょう。

小沢征爾がDJをやるとなったら、興味がかきたてられることはあるでしょうが、DJとして素晴らしかったとしても、指揮者としての評価があるだけに、そこと比べられることはやむを得ないと思います。

つまり、ミュージシャンであれなんであれ、「どう自分を認知させてきたのか」「何を期待させるのか」「どういう客を相手にしてきたか」という前提があって、そこから外れることをしたら、なかなか受け入れられないってことが性別を問わず起きるに過ぎないのではなかろうか。

会場にいた人が書いているところによると、実際にビョークは受けていたみたいで、メディアの評価とのズレが生じているのでしょうけど、こういうこともまたよくある話。DJというものを理解している層とそうではない層の違い。

たとえばチャルガのアジスは、最近、メイクをせず、ブラもつけずにPVに出ていることに対して、「つまらなくなった」という評があります。私はヴォーカリストとしてアジスを変わらず聴いていますけど、つけマツゲで自分を認知させてきたら、そういう人が出てきてしまうのは避けられない。「姿形を面白がっていただけで、音楽は聴いてなかったんだべ」というツッコミはできますけど、それを含めてのアジスを楽しんできた人がいるのは事実であり、自身そうしてきたわけです。

そういう人が出てきてしまうことに「ゲイ差別だ」とアジスは言わないでしょ。言っても誰も聞く耳持たないでしょ。

それと同じじゃないんかな。

そこから脱するには、今までと違う自分を新たに認知させていくしかない。今までの評価が邪魔だったら、変名で勝負して、まったくの別の存在を認知してもらうしかない。

その「認知」の際に、女のミュージシャンはルックス込みになりやすく、対して男はルックスを外して音楽を評価される傾向はあるかもしれないし、自身が書いているように、女が扱うテーマに制限があるのも事実かもしれないのですが、それをDJが評価されなかったことから導こうとしたのは失敗かと思います。説得力がないですもん。

 

5年前のアジス

 

 

メイクとブラをやめて以降のアジス

 

 

マリヤは単体ではそんなに好きではないのですが、アジスと組むと抜群にいい。チャルガは単独曲だけじゃなく、このようなコラボが多くて、組み合わせの妙を楽しむのが醍醐味であります。

 

差別か否かは冷静に判断すべし

 

vivanon_sentenceFacebookの投稿にも書いているように、私は音楽業界にセクシズムは存在しないなんてことを言いたいのではなくて、あり得る部分は認めつつ、この始まりになった件については、セクシズムなんてものが存在するとは言えないと思っています。ビョークのDJが酷評されたのは、ビョークが期待させたものが叶えられなかった失望に過ぎないと考えた方がはるかに納得しやすい。

また、姿を晒して歌ってナンボのミュージシャンとしてのビョークを観て来たライターとのズレでしかない。それとて断定はできないですけど、セクシズムだと言い出すよりはあり得るでしょう。

ビョークは、こき下ろされたことに腹を立て、カーッとなったあまり、言わなくていいことまで言ってしまったと見ています。自分の主張になにかしらの社会的意義があるのだと思わせたい時に、ついつい「差別だ」と言い出すのはよくあること。

レイシズムについても、感情、感覚、勘のようなものを根拠にするのではなく、慎重な判定が求められ、さもないとインフレを起こして、「何が問題か」が見えなくなり、すべてが曖昧にされてしまうと考えて、慎重な姿勢を維持してきた私でありますから、このことも黙過できませんでした。

※図版は問題となったイベントDAY FOR NIGHTのサイトに出たビョーク・デジタルの告知

 

 

リリー・アレンはセクハラを語っているのではない

 

vivanon_sentenceビョークの件はこれを投稿してからもずっと考えてまして、以降、引続き論じていきますが、NMEつながりで書いておかねばならないことがあります。

 

 

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