松沢呉一のビバノン・ライフ

エンヤはどうなる—ビョークが主張する音楽業界のセクシズムは存在するのか? 5(松沢呉一) -2,923文字-

顔出し率調査・アイドル編—ビョークが主張する音楽業界のセクシズムは存在するのか? 4」の続きです。

 

 

 

ビョークの指摘を検討する

 

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ビョークが音楽業界の性差別を指摘したことを受けて、私は「女のミュージシャンはルックスで評価されやすい。ルックスだけではないとしても、その要素を外しては語られにくい」ということと、「女のミュージシャンは好きな男のこと、恋愛のこと以外を歌うことは難しい」という点については性差別があるかもしれないと書きました。

前者については、ロック系においての顔出し率の男女差から見て、その傾向がありそうだと言えますが、アイドルについてはそういった差が見られないことから、なお検討が必要。つまり、ロック・ジャンルで差が出たのは、男女の音の指向が違うためとも考えられるわけです。

こちらは、私が「セクシズムだと言える点がもしあるなら」と思いついた点であって、ビョークが指摘しているわけではありません。

歌の内容についてはビョーク自身が指摘しています。男は自由にテーマを歌えるのに、女は恋愛しか歌わせてもらえないし、それ以外のことを歌うと叩かれると。

 

音楽業界にいる女性はシンガーソングライターになってボーイフレンドのことを歌うことしか認められていない。もし彼女たちが原子とか銀河とか(政治的な)アクティビズムとか、ナードっぽい数学的なビートの編集とか、主題を恋人からそのようなものに変えたとしたら、批判されるだろうね。そんなことをしたらジャーナリストは私たち女性には何かが欠けていると思うだろう。まるで私たちの言語はエモーショナルなものだけかのように。

私はアルバム『Volta』や『Biophilia』を、女性アーティストが普段書かない主題と分かって作った。そして私はそれを成し得たと思ってた。アクティビスト的な感覚で作った『Volta』では、妊婦による自爆テロや、(アイスランドとスコットランドの間にあるデンマーク領の)フェロー諸島やグリーンランドの独立について歌った。

教育的な視点で作った『Biophilia』では、銀河や原子について歌った。けど(パートナーとの破局を歌った)『Vulnicura』までメディアからきちんと受け入れられることはなかった。男性アーティストは主題を様々に変えることを許される。SFから時代物、スラップスティック・コメディからユーモアのあるものまで、もしくは作り上げられたサウンドスケープのなかで彷徨う音楽オタクにもなれる。けど女性はそうじゃない。私たち女性は、人生で、腹を切り裂いて、血を垂れ流して、男性と子供のことを気にかけなければ、オーディエンスをだましてるってことになる。

「フェノメナル」掲載・Jun Yokoyamaによるテキストより

 

軽く読み飛ばすと、そういう傾向がありそうに思ってしまいましょう。でも、ビョークの主張をちゃんと読めばおかしいことに気づけるはずです。

 

 

女性アーティストは銀河や原子について歌うことが困難?

 

vivanon_sentence政治的テーマについては日本ほどタブー視はされていないにしても、どこの国でも姿勢を明確にすれば対立する人たちから叩かれる。とりわけ女がやると叩かれる傾向はあるかもしれない。

しかし、銀河や原子について歌うことがそうも忌避されるなんてことがありますかね。

ビョークの言い分を見ると、ビョーク自身は「女性アーティストが普段書かない主題」を積極的に取り上げていることがわかります。これ自体、「音楽業界にいる女性はシンガーソングライターになってボーイフレンドのことを歌うことしか認められていない」、「男性アーティストは主題を様々に変えることを許される」「けど、女性はそうじゃない」という主張の反証になってます。

ビョークは、レコード会社やメディアからのプレッシャーを跳ね退けて、特別に実現してきたのかもしれないけれど、そういったテーマは果たして音楽業界が嫌うために本当に取り上げられて来なかったのか否か。

また、「教育的な視点で作った『Biophilia』では、銀河や原子について歌った。けど(パートナーとの破局を歌った)『Vulnicura』までメディアからきちんと受け入れられることはなかった」とあるように、メディアは銀河や原子について歌うことは受け入れながら、ボーイフレンドのことは受け入れなかったのですから、これまた反証です。

Facebookに書き殴ったものですから、いい加減なのは仕方がないとして、皆さん、そんな発言をありがたがっていいんですかね。「ビョークだから正しい」「差別はいけない」と即断し、ちゃんと読まずにシェアしたり、「いいね!」をした人が多いのでしょう。あるいはまったく読まずにそうした人も多いのだと思います。「ポスト・トゥルース」の時代ですから。

ビョークのイメージ、音楽業界のステロタイプなイメージで判断した人たちは、メディアがビョークのDJを批判したこと同じことをしていると気づくべし。

 

 

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