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松沢呉一のビバノン・ライフ

映画から? ストリップから?—「本番」がセックスの意味になった経緯 1-[ビバノン循環湯 188] (松沢呉一) -2,873文字-

2017年01月11日19時45分 カテゴリ:ことば風俗産業ソープランドビバノン循環湯売防法性風俗史赤線


これは「実話ナックルズ」の連載に書いたもの。十年は経っていないと思います。

こういうのはいざ調べようとしても、簡単には資料が見つからないものです。そのことを気にしながら古いものを読んでいき、何か見つけたらメモをとり続けていくしかなく、ある程度のことがわかるまで年単位かかります。やっとわかったからと言って、さして興味を抱く人はおらず、ちいとも報われないタイプの原稿です。二回に分けます。

 

本番映画が始まりか?

 

vivanon_sentence本番」という言葉がセックスの意味で使用されるようになったのは、いつどこからなのかという話が時々出る。

大島渚監督「愛のコリーダ」(1976)が日本初のハードコアポルノとして話題になり、以降、役者が実際にセックスをしているものを「本番映画」と呼んだ。武智鉄二監督「白日夢」(1981)「華魁」(1983)などが知られる。ピンク映画でも前貼りをつけていた時代には、それだけでも大いに話題になったわけだ。

芝居や映画で使用される「本番(リハーサルではないという意味の)」という言葉がセックスに転じたと考えるのは無理がない。そのため、「『愛のコリーダ』からではないか」という人もいるのだが、ストリップショーで「本番ショー」という言葉が使われるようになったのは、これよりも早い。

そこで私はストリップからだろうと長らく思っていたのだが、古い雑誌を読んでいくうちに、ほぼその用法がどう発生し、定着したのかを確定させることができたので、その経緯を見ていくことにしよう。

 

トルコ風呂が乱立した時代

 

vivanon_sentence昭和二六年四月に銀座にオープンした「東京温泉」には客が詰めかけ、あちこちに同様の施設ができる。「東京温泉」の売りはミス・トルコと呼ばれるマッサージ嬢であり、面接にはミス・トルコ志望者が詰めかけた。

昭和二十年代のトルコ風呂の様子については、ユーモア作家・玉川一郎の『恋のトルコ風呂』(一九五二年/昭和二七年・東成社)を読むとよくわかる。表題作は二十ページにも満たない小編で、二八歳で童貞の主人公がトルコ風呂に行ったら、同じアパートに住む女がミス・トルコとして現れ、ここから恋が芽生えて結婚するという、たわいもない話である。

舞台は浅草の「ハッピィ・トルコ」。この年、浅草に「新世界」というトルコ風呂がオープンしているので、そこをモデルにしたものかもしれない。

今も形だけソープランドに設置されているスチーム風呂(本の表紙にも描かれている)に入ったあと、短パンと大きなブラジャーをしたミス・トルコに、体をマッサージしてもらう。

お色気を売りにしているところがあったにしても、ここに登場するミス・トルコという職業は、街娼や赤線女給とはまったく違っていて、喫茶店のウェイトレスのようなイメージである。水商売の女ほどもスレておらず、むしろ純粋無垢な存在としてさえ描かれているようにも見える。

現実に純粋無垢だったかどうかはともあれ、「東京温泉」がミス・トルコを看板にして、スチーム風呂を設置したトルコ風呂を成功させたことを契機に、このような「健全なトルコ風呂」があちこちに登場していて、のちのトルコ風呂のイメージでとらえようとするととんだ誤解をする。

だからこそ、私は「東京温泉」をトルコ風呂の元祖とする見方に異を唱えているわけだ(詳しくは『エロスの原風景』参照)。トルコ風呂は戦前から日本にも存在していた。また、エロサービスのあるトルコ風呂も、小規模、かつおそらく短期のものながら、「東京温泉」以前から存在していたことはほぼ間違いない。戦前から、上海のトルコ風呂の話は日本にも伝わっていたため、そのエロイメージを利用した宣伝で成功したのが「東京温泉」であり、その内実は今の健康ランドに限りなく近い。

※「東京温泉」の成功で、錦糸町駅前にできた巨大ビル「東京新天地」(今はLIVINという名称もついている)の中にも、「東京温泉スタイル」のトルコ風呂が入っていた。現在はサウナ「楽天地スパ」がある。

 

スペシャルの始まり

 

vivanon_sentenceでは、「東京温泉」以降のトルコ風呂でエロサービスが始まったのはいつか。これがはっきりしない。

広岡敬一著『トルコロジー』(晩聲社・一九七八)によると、スペシャル(手コキ。「マスター」とも呼ばれる)が始まったのは昭和二七、八年の吉原だとある。つまり、「東京温泉」ができた翌年か翌々年にはスペシャルが始まっていたというのだ。ただし、ここはいくらか条件をつける必要がありそうだ。

赤線に対する規制がだんだん強まってきて、売防法の前身になる法案も上程されるようになり、次の時代を見据えて、あちこちにトルコ風呂が登場した。その中には、「東京温泉」と違い、スペシャルルームと呼ばれる個室が設置されて、スペシャルな環境が整っていた店もあり、当初は、ここでのサービスをスペシャルと称した。個室を使用しているだけで、やることは一緒。ただのマッサージである。それがのちには手コキを意味するようになる。

玉川一郎が描くミス・トルコのような存在もいたろうが、一方で赤線で働いていた女たちがそのままミス・トルコになったケースも多く、馴染みの客と個室で二人になれば、自然と今までと同じサービスをしたろう。

よって、昭和二十年代に、手コキ、あるいはそれ以上のサービスをやったのがいたことは想像に難くないとして、これはあくまで例外的な存在による、例外的な関係のもとでのことだ。今もクィックマッサージの店でセックスしてしまうことや、スナックのママが他に誰もいない時に客と店でセックスすることがあるのと同じであり、それ以上の意味はないのだから、トルコ風呂のサービスだったとまでは言えまい。

※『トルコロジー』の書影はこちらから借りました。

 

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