意識されない陰毛が嫌われる-毛から世界を見る 33- (松沢呉一) -2,341文字-
「マドンナと陰毛とワシントン女性大行進—毛から世界を見る 32」の続きです。
容易に揺れる陰毛イメージ
前回書いた私という個人の中での陰毛観の揺れは、一定の普遍性を伴っていようかと思います。これはアジアなど一部地域を除いて、世界各国でわずか十数年の間に、陰毛が消滅しつつある事実を見れば明かです。短いレンジで感覚は変化するのです。
もしマドンナが出した写真の陰毛が手入れしていないボーボーだったら、汚いと感じる人たちが相当数出てきます。
マドンナがそれをやったら、「汚いと思うのが間違い。これが本来の姿であり、剃らなければいけないと思わされているだけだ」というアデル・ラボさんやそれに呼応するNeon Moonの脇毛やハミ毛に通じるメッセージを読み取ることが可能ではありますが、このメッセージは同時に「陰毛は汚い」と受け取られることを前提としています。
しかし、ナイキのマークに刈り込んだ途端に、多くの人にとっては「カッコいい」に転じる。同じ陰毛でも、手が加わっているのか否かで印象は大きく揺れるのです。これは男の陰毛も同じです。
このことは世界の陰毛事情を精査していくと、よりはっきりしようかと思います。
ボーボーに伴うネガティブ・イメージ
毛自体が汚いということもあるのですが、「手入れしていないこと」がボーボーの陰毛を忌避する要因になってます。
CAM4に出ているボーボーの人には共通点があって、その共通点が毛の評価を下げている側面もあります。とくに女子の場合。
※エロ画像がありますので、18歳以上の方のみお進みください。
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