松沢呉一のビバノン・ライフ

「花柳界」という言葉の始まり—BuzzFeedの記事を検証する(笑) 2-(松沢呉一) -3,170文字-

恵方巻きが始まったのはお茶屋か妓楼か—BuzzFeedの記事を検証する(笑) 1」の続きです。

 

 

 

花柳界という言葉が出てきたのは明治後半

 

vivanon_sentence「花柳」から派生した言葉が「花柳界」で、これも中国語にあるようですが、おそらく日本語から中国語になったものだろうと思います。

国会図書館で「花柳界」を検索してみると、戦前のものが100冊以上出てきますが、すべて1900年代に入ってからのものです。国会図書館は本文検索ができず、使用され出すのはもう少し古いでしょうけど、それでも「花柳」に比べると比較的新しい言葉です。

もっとも古いのは明治36年(1903)刊の大町桂月著『社会訓』です。「今日花柳界と云へば芸者の世界也」としていて、その前の文章で、遊廓のことを著者はよく知らないことを明記しています。少なくともこの時点では、すでに芸者町を意味する言葉だったとわかります(前回説明したように、ここでの「芸者町」は業界の意味をも含むものとします)。

「今日」とついていることから、「前は違った」とも読めますが、おそらくこれは「花柳」という言葉がどちらも意味していたことを指しているのだと思われて、対して「花柳界」についてはその始まりから、芸者町に重きのある言葉だったとしてよさそう。

この文章は面白くて、「花柳界とは、男一匹馬鹿になりにゆく処也」としつつ、芸者廃止論に対する擁護論を展開しています。欧米には芸者はいないことをもって批判するむきに対して、その代わり、欧米では婦人令嬢が宴会の場に出てくることを指摘。芸者を廃止すると、日本でも婦人令嬢たちがその役目を果たさなければならない。

「女が家の外に出ることを禁じるべし」という展開かと思ったら、日本の婦人令嬢は、あまりに遠慮がちであり、話が下手で、気が利かない。その点、芸者は…と礼賛。だから、男は馬鹿になるのだと。

なお、滝本二郎著『欧米漫遊留学案内. 米国篇』(昭和13年)の目次に「カバレー花柳界」という言葉が出ています。「アメリカに花柳界があるのか!」と本文を読んだら、ただのキャバレーの説明でした。芸者を廃して、キャバレーでもいいわけです。

 

 

花柳界という言葉が出てきた必然性

 

vivanon_sentence明治の後半に「花柳界」という言葉が出てきたのは納得しやすい。

DSCN6047もともと芸者は遊廓に付随するものとして発展しました。

もうすでに跡形もなく消えましたが、20年ほど前まで、吉原大門の近くに松葉屋という茶屋がありました。地域によって名称が少し違っていて、「引手茶屋」だったり、「揚茶屋」だったりするのですが、今現在のわかりやすい言葉で言えば茶屋は料亭であり(料亭は料理を出して宴会や会合をする場所ですから、正確には茶屋とは違います)、法的には待合です。客が来ると、置屋から芸妓が茶屋の座敷に派遣されてきます。

ここで客はまず宴会をやります。吉原の初期にはこれをやらないと遊女に会えず、登楼できなかったのです。そこに遊女がおつきの者や禿を従えて迎えに来ます。これが花魁道中のルーツです。

こういう遊びの中で出てきたのが芸者であり、遊女の引き立て役、前座だったわけです。

 

 

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