松沢呉一のビバノン・ライフ

林芙美子『放浪記』に見る女言葉—女言葉の一世紀 5-(松沢呉一) -3,490文字-

芸妓・ダンサー・女給の言葉—女言葉の一世紀 4」の続きです。

 

 

林芙美子『放浪記』で女言葉を探る

 

vivanon_sentence前回見たように、芸妓もダンサーもカフェーの女給も、雑誌の座談会では揃って丁寧な女言葉を使用していました。

これはいわばよそ行きの言葉です。芸妓の場合はつねにああいう言葉遣いをするように教えられていた可能性が高いですが、ダンサーや女給がいつもあんな言葉遣いをしていたわけではありません。人にもよりけりですが。

そのことをカフェーの女給が書いた本で確認しようと思ったのですが、それより林芙美子著『放浪記』だなと。

林芙美子は貧しい家庭に育ちながらも、女学校は出てますし、カフェーの女給だけでなく、オモチャ工場で女工になったり、家政婦になったりもしてますから、さまざまな階層、職種の人たちとの接点があって、自身、言葉を使い分けています。

放浪記』はもともと日記として書いていたものを日記スタイルの自伝小説にしたものであり、自身の生活がそのまま描かれていますから、言葉遣いも現実に近いものだったと思われます。

東京だけでなく、関西、四国、中国地方にも移動しておりますから、それらの地での言葉も拾われています。理想的。

ここではより手が加わっていない、雑誌初出時の『放浪記』青空文庫から使用します。

 

 

女給の言葉 1

 

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まずはカフェーの女給の言葉を見てみましょう。

 

いゝなあ、こんな処の女達の方がよっぽど親切で思いやりがある。

「私しぁ、もうもう愛だの恋だの、貴女に惚れました、一生捨てないのなんて馬鹿らしい真平だよ。あゝこんな世の中でお前さん! そんな約束なんて何もなりはしないよ。私をこんなにした男は今、代議士なんてやってるけど子供を生ませると、ぷいさ。私達が私生児を生めば皆そいつがモダンガールさ、いゝ面の皮さ……馬鹿馬鹿しいね浮世は、今の世は真心なんてものは、薬にしたくもないよ。私がこうして三年もこんな仕事をしてるのは、私の子供が可愛いからさ……ハッハッ……。」

お計さんの話を聞いていると、ジリジリとしていた気持が、トンと明るくなる。素的にいゝ人だ。

 

「こんな処」というのは新宿のカフェーのことです。お計さんは、女給たちの姉貴分といった立場にあるようで、同僚たちに対してはいつもこういう言葉遣いです。男とほとんど変わらないとも言えますが、これが女の声で発せられると、気っぷのいい「姐御言葉」という聞こえ方になります。

加賀まりこ演じる女博徒は「かわいい女言葉」でしたが、博徒の言葉としてはこっちの方がしっくり来ます。

カフェーの客に対してはまた違う言葉遣いでしょうけど、今現在も銀座のクラブと新宿のスナックでは接客が違うように、当時でも、場末感がまだあった新宿だと、銀座ほどの高級感は出していなかったでしょうから、店によっては仕事中もこんなんだった女給がいたかもしれない。

素的にいゝ人」という「素的に」という用法とその漢字は、戦前のものによく出てきます。今も使わないわけではないですが、用法も漢字も使用頻度が落ちていそう。

 

 

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