松沢呉一のビバノン・ライフ

肯定しきれず、否定しきれず—田中美津インタビューの疑問点 1-(松沢呉一) -2,472文字-

田中美津インタビューの意義

 

vivanon_sentence田中美津さんがAVについて発言を始めたこと自体は感慨深いものがあります。

以下はSSですで、リンク先の毎日新聞のサイトで観てください。

 

 

 

 

これに対して、私はFacebookでこう書きました

 

AVの評価が一面的すぎる、もしくは古すぎるのではないかとの疑問があるのですが、私自身がAVをあまり見てきていないのでスルーするとして、ウーマンリブとはいったいなんだったのかが明快に語られています。

私はウーマンリブを「家父長制道徳を維持し、女個人の意思、決断、自由をないがしろにしてきた日本の婦人運動の中で、初めて女個人の意思、決断、自由を尊重し、他者の意思、決断、自由を尊重する主張がなされた運動」と思っています。その始まりとも言える主張は、戦前から伊藤野枝らによってなされていましたが、大きな動きにはなりませんでした。

そのことは「ビバノンライフ」で、産児制限運動を切り口にして説明してきました。「フェミニズムと産児制限運動」 以降を参照のこと。

このシリーズの「産む産まないは女が決める」 で、我がセックスワーク肯定論のルーツは「リブと新吉原女子保健組合である」と言っている意味も、田中美津さんのこのインタビューを読むと理解できようかと思います。

ウーマンリブ世代の人たちも、あの当時の主張をしなくなり、人によっては変質し、人によっては沈黙してしまっていて、こう書きながらも、「私のウーマンリブ理解は間違っていたのかな」「間違った理解をした上で影響を受けたのかな」と不安になることがしばしば。

でも、田中美津さんが発言したことで、「ウーマンリブを引き継いでいる女たちは、今どこにいるのか。何を主張しているのか」が見通せるようになるはず。

感無量。

 

 

田中美津インタビューの問題点

 

vivanon_sentence私にとってのこのインタビューの意義はここにある通り。あくまでもインタビューの前半を読んだ段階で書いたものであり、後半は触れようがない「田中美津ワールド」なので、これ以降も無視します。

「ウーマンリブの騎手」がここに踏み込んだことだけで感激しすぎ、評価しすぎたかもしれないですが、そこはいいとして、問題は冒頭の「AVの評価が一面的すぎる、もしくは古すぎるのではないかとの疑問」です。このインタビューのタイトルまでそうなっていますしね。

私が「これはないだろ」と思ったのは以下のような発言です。

 

 

今まで何本かAVを見て、「男の欲望ってこんなものなの?」「ワンパターンで金太郎アメみたい」と思っていました。「(男が女を)征服する」とか「力の誇示」とか、描かれていることがどれも似たり寄ったりで、まるで女は消費されていく品物みたい。こういうものがものすごい数で作られているわけですから、AVを見ていると男のコンプレックスの深さや生き難さを感じてしまいます。前から、この男目線で作られているAVを女性たちにこそ見てほしいと思っていました。「男によって幸せになる」というファンタジーを与えられ続けてきた女たちも、「こういうAVを喜んで見る男に頼っていたら、ろくな人生にならない」ということがよく分かると思うんです

 

 

さんざんAV、あるいは性表現全体を否定する人たちが言ってきた見方です。

「おそらくたいしてAVを観ずに、今までのステロタイプな見方をなぞっただけ。ちゃんと調べ、ちゃんと考えてから言うべきだったんじゃないか。これでは不要な反発をされかねないし、利用されかねない」と思いつつ、私は自信をもって言えるほどAVのことをわかっていないので、指摘はしておいて、詳しい人に批判は任せたいというのがこの時点での考え。

 

 

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