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松沢呉一のビバノン・ライフ

長屋の喧嘩と言葉—女言葉の一世紀 17-(松沢呉一) -3,330文字-

2017年03月20日18時13分 カテゴリ:図書館国会図書館ことば女言葉女言葉の一世紀


長屋のお内儀さんたちの会話—女言葉の一世紀 16」の続きです。

 

 

うちの宿六

 

vivanon_sentence前回、山村愛花著『女百面相 当世気質』掲載「貧民窟の女」から長屋の内儀さんたちの会話を抜き出しましたが、あの中に「宿六」という言葉が出てきます。

聞き慣れている言葉ではあっても、今現在、この言葉を使う人はあまりいないでしょう。しかし、戦前の長屋ではそれなりには使われていたようです。

あの文章では、自分の、あるいは他者の夫をそう呼んでいます。これは「うちのろくでなし」という意味でありますから、自分の夫を第三者に対してこう表現するのはいいとして、人の夫を「お宅の宿六」と呼ぶのはよっぽど仲のいい関係でありましょう。夫本人に妻が言う時は夫婦喧嘩の時。

以下は、もう六著『宿六と山の神』(大正八年)より。

 

「おい、最(も)うないかい、」と、さっきから言ひ兼ねていたことを、やうやく言ひ悪(に)くさうに切り出した、ないかとは、無論酒のことである。

「何がよ、お前さんは又今日懶(なま)けるつもりだね、大抵におしよ。黙って居りゃ好い気になって、罰が当るよ罰が、誰が三日も四日も続けて休むものがある。サッサと朝飯を食べて出ておいで、」

「余計なことを吐(ぬか)すなってことよ。小使がありゃ五合ばかり買って来い。今日だけ、最う一日呑まなきゃ仕事に出られねへ。」

「巫山戯(ふざけ)ちゃ不可(いけ)ないよ。どうして出られないンだよ。続けて三日も休みゃ沢山ぢゃないか、早く行かないと抓(つま)み出すよ、」

痩せても枯れても二十一貫七百匁の大女だけあって、言ふことはなかなか大きい。

「何をいって居やァがるンでぇ、生意気なことを吐かすな。亭主に向って抓み出すの突き出すのと、手前こそ罰が当るぞ、一体汝(うぬ)は、誰のお蔭で命を継(つな)いでると思って居るンだ。酒は呑ンでも呑まんでも、働く時は篦棒奴働くンだ。御亭主の命令に反くと、憚りながら承知しねへぞ、畏まって買って来やがれ、」

「へ、御亭主面があるかね、懶け者の宿六奴(め)、お前さん一人の働きで、家の生計(くらし)が附くと思って居るのか、私が斯うして、年中閑なしに内職するから、稀(たま)に生臭い物が食べられるやうなものの。他所(よそ)のお神さんのやうに、フラフラ近所隣を饒舌(しゃべり)歩いてばっかり居た日にゃ、梅干一ツ食べられないよ。」

※適宜行替えを入れてます。

 

「おれ」とまでは言ってませんが、これもまた女であることを感じさせない言葉遣いです。

 

 

長屋での呼称

 

vivanon_sentence著者の「もう六」は、「三宅もう六」「三宅猛六」という名前も使用しており、著書が何冊か国会図書館で公開されていて、ユーモア小説家のようです。国会図書館で検索すると、「ユーモア小説」という言葉は昭和に入ってからのものしかひっかからず、大正時代にユーモア小説という言葉があったかどうかわからないですけど。諧謔小説かな。

宿六と山の神』はある意味画期的な小説でありまして、最初から最後まで罵倒が続きます。

巨漢の女おさつと、醜い上に馬鹿で怠け者の勘兵衛が結婚して二十数年、三日と開けずに夫婦喧嘩をやってきたが、ついには三軒長屋の端と端で別居生活に。それでも夫婦喧嘩はとまらず、大家や間に住む住民ともそれぞれが喧嘩を始め…という「夫婦喧嘩小説」。

 

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