身分制度の消滅と言葉の画一化—女言葉の一世紀 22-(松沢呉一) -2,945文字-
「子どもの存在が希薄だった?—女言葉の一世紀 21」の続きです。
芸人の少女たち
ここまで見てきたように、女言葉から外れた層として、長屋に住む女たちがいました。
この層は社会の支配者階級とはもっとも遠いところにいる人々です。金もなく、地位もなく、教育も行き届かない。だからこそ、社会の規範から自由でいられたとも言えます。
林芙美子著『放浪記』には長屋の人たちは出てこないですが、ドヤの人たちが出てきます。新宿旭町です。
以下は芸人の少女たちの言葉。
ふところには、もう九拾銭あまりしかない、夕方宿へ帰えると、街に働きに出る芸人達が、縁側の植木鉢みたいに並んで、キンキンした鼠色のお白粉を塗りたくっている。
「昨夜は二分しかうれなかった。」
「やぶにらみじゃ買い手がねえや!」
「これだって好きだって人があるんだからね。」
「はい御苦労様か……。」
十四五の少女同志のはなし。
※「同志」は原文ママ
「あるんだからね」は辛うじて女っぽいですが、男だって使う範囲の言葉遣いです。
大道芸人の地位
彼女らの芸は大道芸か門付けの類いでしょう。夕方出かけていくということは、繁華街で酔客を相手にするのでありましょうか。
深読みをすると、大道芸を表看板にしつつ、客をとっていたようにも読めます。歌舞伎も旅芸人も舞台は顔見世、本業は売春だったりするので、大道芸でもありえたろうと思いますが、おそらくこれは大人たちの言い方を真似しているだけでしょう。「二分」というのはおそらく「二円」のことで、親方なり同業者なりの隠語的用法かと思います。この頃だとまだ江戸時代を知る世代もいっぱいいたわけですし。
舞台を持たない芸人は、芸人の中でも最下層であり、江戸時代には非人頭の支配下にありました。「穢多非人」と同じ扱いであり、まさに河原乞食。
明治に入ってやっと身分制から抜けられたと思ったら、西洋かぶれの人々によって低俗な娯楽として排斥をされ。路上での芸を禁止されます。その急先鋒は自由民権運動であり、「日新真事誌」のような近代的な新聞でした。
これは塩見鮮一郎著『弾左衛門とその時代』に出ていたもので、気になりながらも、それ以降調べていないですが、調べる価値がありそうです。
自由民権運動が最下層の人々を街頭から排除し、仕事を奪ったことに意外な思いもありましたが、キリスト教を背景にした廃娼運動と重ねることもできます。体裁だけを取り繕う。うすっぺらってことです。
廃娼運動をサポートしたのが体裁を重んじる新聞であったことも共通していますし、今もリベラルなフリをしながら、セックスワーク、性風俗産業、エロメディアを攻撃するメディアにも通じます。
政治家だったり官僚だったり警察だったりとは別の権力であるメディアは、しばしば権力者としての発想に陥ります。「無知蒙昧なヤツらを自分らが善導するのだ」と。
また、この本には穢多非人の解放に反対したのは百姓たちであり、そのための一揆もあったという話が書かれており、差別問題を簡単に理解した気分になってはいかんと思ったものです。
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