松沢呉一のビバノン・ライフ

特殊例を全体に広げる手口—兼松左知子著『閉じられた履歴書』のデタラメ 1-[ビバノン循環湯 218] (松沢呉一) -5,414文字-

つうことで、すんげえ長いものを出します。この文章についての説明は「予告編」を参考のこと。また、この本に出てくる人物のリストもすでに出していますので、参考にしてください。

この原稿では、「セックスワーク」ではなく「性労働」、「セックスワーカー」ではなく「性労働者」という言葉を使っています。まったく同じ意味。

前にも書いたと思いますが、「性労働」「性労働者」という言い方は遅くとも1970年代には使用されていた例があります。ウーマンリブの動きの中で使用されていました。その段階で「売春も労働である」という主張がなされていたのですが、この国ではなかなか広がりませんでした。よその国から言葉をもってきて、新しい概念であるかのように見せた方が浸透するのかもしれないですが、それ以前からあった事実を見失わせるのではないかとの思いもあって、「セックスワーク」「セックスワーカー」という言葉を使うことへの躊躇がまだあったため、「性労働」「性労働者」という言葉を使用。その後、セックスワーク、セックスワーカーという言葉が浸透し、「もういいか」ということになったのですが、ここではそのまま残しておきます。

始まりは兼松左知子ではなく、高里鈴代という人物の発言です。

 

 

 

街娼は「精神的に問題があり、知恵遅れ」だと断ずる高里鈴代

 

vivanon_sentence水曜フリートーク・アジアと私・第4回/テーマ:買春・性の商品化にどう対応する?』という冊子を読んでいて呆れた。これは、「アジアの女性たちの会」(松井やより代表)の主催によるセミナーの様子を採録したもので、この回の講師は高里鈴代という人物。プロフィールを紹介しておく。

 

沖縄県宮古島出身。東京都電話相談員などを経て、沖縄に戻り、女性グループによる「うない(姉妹)フェスティバル」実行委員長、那覇市議会議員、日本キリスト教団・性差別問題委員会委員長

 

性差別問題委員会とやらがどういう団体か、この委員長の発言が雄弁に物語る。

 

 

今の法律では、2種類の女性を作りました。1つは拘束されている女性、これは被害にあっているから自由にし、もう一つは、例えばある女性が渋谷か新宿でネオンの下で男性の袖を引いたとします。するとこれは売春防止法5条違反です。公序良俗を犯した罪になります。立っていた女性は直ぐしょっぴかれて、社会の風紀を乱した女性ということで刑務所に行くんです。

みんな精神的に問題を抱えていたり、知恵遅れといわれる人だったり、多くの問題を抱えているんです。普通なら逃げますよ。うまくやって。それに捕まる可能性がある表になんか立たないですよ。大体彼女達の後ろにはヒモがいたり管理する男がいます。一方ソープランドの女性は保護されるんです。

 

 

この冊子の続編ではこう言っている。

 

 

ソープランドをみていると、みんなインタビューには応えてくれるけど、現実はかなり暴力団に管理されていたり、麻薬だけでなくて精神的な薬でまひしているパーセンテージは、決して低くないのです。

 

 

意味がわかりにくいが、売防法によって、売春をする女は管理売春従事者と単純売春従事者とに二分されたということのよう。後者の筆頭が街娼。

管理売春で働く女は参考人として呼ばれるだけで罪には問われない。しかし、街娼は五条違反になって前科がつく。

捕まるのに路上に立って客を引くのは、「みんな精神的に問題を抱えているか、知恵遅れ」のためだと。また、彼女たちの後ろには管理する男やヒモがいるのだと。おそらく本人は立ちたくないのに、男に強制されているとでも言いたいのだろう。

また、管理売春のもとで働く女たちは拘束され、薬を打たれているのだと。インタビューに答えていても、その言葉は本人の言葉ではなく、強制されたものだと。だったら、すぐさま警察に通報せよ。なぜ犯罪を放置しているのか。

こういう人が、またこういう発言をさせてそれを印刷して堂々販売する団体が、人権を語るのだからあいた口が塞がらない。

この文章を読むと、この人自身がソープ嬢に直接インタビューをして、暴力団支配、麻薬の蔓延を確認したかのようだ。しかし、そんな作業はやっていないだろう。やっていたら、こんなこと書くわけないですもん。すべて妄想であり、願望である。そうであれば、性風俗を叩ける。この上なく(「この下なく」か)卑しい人間である。

平気で噓をつき、その結果、性労働者を貶めることになんら痛みを感じることもない。たとえば私が「こんなことを言える人間は知恵遅れである上に、シャブで頭がおかしくなっているのだ」と決めつけていいのか? 私はそんなことはしないが、この人たちはこういうことをしてもいいと思っているらしい。

もし自分で確かめたというのなら、高里さんには、このようなことを公然と断ずる根拠を提出するよう即刻要求する。神経が麻痺し、脳天が腐れきっているのは一体どこの誰なのか明らかにしようではないか。

この人の指摘は、売春をめぐるさまざまな事例の中で、この人にとって都合のいい事実だけをかきあつめ、その確認作業もしないまま野放図に拡大し、妄想をまぶして他人を愚弄するものでしかない。この人にとって都合のいい事実とは「女がそんなことを自らするはずがない。女は愛をもって夫に尽くす存在なのだ」という宗教的信念を支えるための事実である。

※何度読んでも怒りがわき上がってくることを止められない。『闇の女たち』を読んどけ。

すでにお気づきの方もいらっしゃいましょうが、「自分の性を他者に押しつけないではいられない」に出てきた例そのままです。自分の信じる「神話」からはみ出す存在をなんとしても否定したい。そのためには精神に異常があると言い出す。そのくらいしか言えることがないのでしょう。

この冊子には発行年の記載がなかったと思います。売られていた時期からして、1990年代末のものだったはずで、この時点では「知恵遅れ」という表現は差別的用語だと広く認識されて、使用する人はあまりいなかったはず。そのため、これを読んだ時には「知恵遅れ」はないだろうと思ったのですが、この言葉はもともと「精薄」を避けるための「正しい言い換え用語」として使用されていた時代があって、その時代にこの言葉を使用してきた人たちは、なおこの言葉を使い続けている例があり、この言葉自体の問題ではありません。問題は、「事実に反して、ある集団に対して、まとめて精神に障害や異常がある」「本人たちが語る言葉は本心ではなく、強制されたものである」と決めつけることであり、これが事実ではないことの証明は『闇の女たち』だけでも十分でしょうが、以下、さまざまなデータを提示して、こういう類いの連中のデタラメぶりを明らかにしていきます。

 

 

兼松左知子著『閉じられた履歴書』の呆れた内容

 

vivanon_sentence日本の売春史を調べていくうちに、私は街娼の存在に着目し、そこから特殊とも言える日本の街娼の存在を肯定的に見るようになっている。公娼や赤線のように、売春する者たちを一カ所に集めて管理する「集娼」に対し、街娼のように、より管理されない形態を「散娼」と呼ぶが、集娼の歴史の長い日本では、江戸の夜鷹の時代から、街娼は徹底した蔑視に晒されている。

捕まる可能性がある表になんか立たない」だから「知恵遅れ」なのだと想像で断定して恥じないこの人物も、その道徳を疑いなくなぞっている。事実よりも、道徳がそうも大事か。

この人の言葉には、管理されることを嫌い、また、相手を選ぶことをプライドとして孤立無援の中で自助グループを形成し、警察による狩り込みや客の暴力、チンピラによるたかり、世間の蔑視、既存の道徳ともっともよく闘った戦後のパンパンたちの姿はまるで見えて来ない。少なくとも数十という単位で殺された当時の街娼たちは、高里さんにはやはり「知恵遅れ」でしかないのだろう。

閉じられた履歴書―新宿・性を売る女たちの30年ソープランドについても、女たちが自分の意思で働くことなど一切想定されていない上に、どうして、ヒモや暴力団が関与することがあるのかについての考察が一切なく、そのために、こういった考え方こそがヒモや暴力団の関わりを加速させていることにまるで気づいていないのだ。この無自覚さには愚鈍、愚劣、悪辣、悪質、卑怯、卑劣、低劣など、私がすぐに思いつく悪罵の言葉ではとうてい言い表すことができないほどだ。

この人にこう言わせた根拠らしきものがあるとすれば、たぶん海外の古い資料か、婦人相談員が書いたものと思われる。

特に、兼松左知子著『閉じられた履歴書—–新宿・性を売る女たちの30年』(一九八七・朝日新聞社/のちに朝日文庫)がネタ元ではないかとも想像する。事実を無視して、売春を否定する人たちが、今でもありがたがっている本だ。

売防法制定の翌年、一九五七年から婦人相談員になった著者が、以後三十年間にわたって接してきた女たちの姿を描いたこの本は、現場を見もしないで書く人に比べると資料価値はあり、一読することを私もお勧めする。

ただし、条件つきだ。この本を「売春をすると、こんなひどいことになる」といった例として使用するのは大間違いで、この本を利用する際には細心の注意が必要である。事実、売買春否定をする人はこの本からしばしば引用しているのだが、この本が持っている問題点に気づかず、その問題点をさらに広げるような形で利用していることがよくある。

これを読んだ人の使用法が間違っているだけじゃなく、兼松さん自身、そういった誤読を招くような書き方をしている箇所が多数あって、兼松さんもその責任から逃れられないことも確認しつつ、そういった過ちが二度と起きないように、以下、この本の欠陥を逐一挙げておくとしよう。これだけのデタラメがなされてきたという点においてのみ、この本は多大な資料性があるのだ。

 

 

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