松沢呉一のビバノン・ライフ

売防法がサポートした暴力団支配そして薬物—兼松左知子著『閉じられた履歴書』のデタラメ 4-[ビバノン循環湯 221] (松沢呉一) -5,734文字-

ヒモの歴史と売防法の影響—兼松左知子著『閉じられた履歴書』のデタラメ 3」の続きです。

 

 

 

ヒモのピークは昭和三十年代後半

 

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前回見たように、一九六八年(昭和四三年)版の売春対策審議会編『売春対策の現況』では、売防法全面施行の翌年である一九五九年(昭和三四年)のヒモの率よりも、一九六一年(昭和三六年)の方が高く、一九六六年(昭和四一年)には低下。

一九九七年(平成九年)版の『売春対策の現況』では「ヒモ」に関する項目は消えている。少なくとも問題になるようなタイプのヒモは減っていると見ていいだろう。

この数字の経過は、売防法以降の数年にわたり、ヒモに守られるなり、ヒモに取り込まれるなりで、街娼がヒモとくっつく事態、また、白線によって暴力団支配が進行するが、やがて街娼という業態自体が消滅に向かい、白線も衰退し、トルコ風呂やピンサロといった合法性風俗隆盛の時代を迎えたことによる。

このことからも、暴力団支配は売防法によってもたらされていて、合法化した方がその余地が減ることは明らかなのだ。にもかかわらず、売防法で設置が決まった婦人相談所の職員が、暴力団支配によって登場した「悪質なヒモ」の存在を強調し、自己の存在をアピールするのはとんでもない話。暴力団を引き入れた連中が、暴力団を名目に性風俗を叩く詐術がいまなおまかりとおっていることには怒りを禁じ得ない。

 

 

ヒモになる時代背景を無視する兼松左知子

 

vivanon_sentenceもちろん、ヒモはどうやっても存在するものであり、男が金を稼いでいれば女が働かなくてもいいという選択が出てくるように、女が稼いでいれば男は働かなくていいと判断するのはそれほどおかしなことではない。

良質なヒモなどあり得ないという方もおられようから、ここでは「悪質なヒモ」に対して「マシなヒモ」とでも呼んでおくが、その言葉の悪いイメージと違い、暴力をふるうわけでなく、売春を強制するわけでないケースはいくらでもある。

閉じられた履歴書』にも「マシなヒモ」の例がたくさん出てくる。

松子の例。

 

 

旭町のドヤ『まつみ荘』を訪ねるたびに立ち寄った店に松子がいた。松子は三十五歳。夫は五歳年長で、戦傷で身体障害者であった。北国の実家には十三歳から九歳までの三人の子を預けていた。田舎で農業をしていたが、生活が苦しく呉服の行商人の友人を頼って夫婦だけで上京した。祖母と子供のいる留守宅には、毎月五千円から八千円の仕送りをつづけていた。行商もうまくいかず、夫は地下鉄の工事人として月一万二千円稼いだが、不足した。ドヤ仲間はみな、それぞれの生活の苦労をかかえた末に、おきまりのように妻が売春をするようになっていた。

 

 

同様の境遇にあったのが益代とその夫だ。

 

 

昭和三十四年は、炭住街に不況が襲った。新聞などでは主婦の身売り話がしきりに伝えられた。まだ若く体格のよい益代の夫も、この不況で九州のヤマを解雇された。仕事を求めて上京、親子四人で新宿のドヤに流れ込んだ。

ドヤもんTから反物の行商を紹介される。無口で無骨なヤマの男には、口さきだけで勝負する反物の行商は難しかった。わずかな収入では生活できない。同じ境遇で、その日払いの生活を辛うじて保っているドヤ街の主婦たちは、みな通りに出て客を引いていた。夫は、妻の売春に初めは抵抗するが、次第に妻のポン引きの役目をつとめるようになった。

 

 

筑豊炭坑絵物語 炭坑労働者が失業して、妻が売春するところに追い込まれた話は、当時の本や雑誌によく出ている。社会から打ち捨てられたのは女だけではなく、「もし自分が売春できるなら」と思いつつ、苦汁の選択をしなければならなかった男らがいた。

ここに出てくる男たちは妻に暴力をふるったわけではないのだが、妻に売春させなければ自分も妻も子供らもメシを食えない現実を前に、自分のふがいなさ、売春をする妻への申し訳なさ、心の中に渦巻く嫉妬がないまぜになって酒に走り、妻に手を上げ、やがては「悪質なヒモ」に転じるのもいたに違いない。

閉じられた履歴書』には、これ以外にも、もともと「女を食い物にする」ために近づくのでなく、妻の稼ぎの方がいいため、やがて自分は働かなくなり、ヒモになるというケースもいくつか出ている。

夫婦間であっても暴力は犯罪であるし、妻に売春を強要するのも否定されるべきだが、互いに納得しているなら、妻が金を稼ぎ、夫が妻の労働をサポートしたり、育児や家事を分担すること自体、決して非難されるべき選択ではなく、すべてをまとめて唾棄するのは如何なものか。

 

 

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