松沢呉一のビバノン・ライフ

ヒモより悪質な婦人相談員—兼松左知子著『閉じられた履歴書』のデタラメ 2-[ビバノン循環湯 219] (松沢呉一) -5,509文字-

特殊例を全体に広げる手口—兼松左知子著『閉じられた履歴書』のデタラメ 1」の続きです。

※「四十年前のもの」といった表現は、この原稿を書いた2000年の時点のものです。それ以外も時制はすべて書いた時点のままです。

 

 

 

兼松左知子のやり口

 

vivanon_sentenceある人が見聞きしたこと、体験することのできた範囲で文章を書いていけないなんてことを私は言っているのではない。そういうものとして書いていたのであれば、『閉じられた履歴書』をこうも私が批判するはずもない。

その範囲でしか通用しないはずのことで全体を決めつけてはならないという当たり前のことを私は言っている。これでは適切な対策がとれなくなる。事実、こういった道徳派による道徳に基づいた対策が有効だったことなどない。

ある人物の特性をもって、その属性全体に広げてしまうことはままあることだ。たとえばある職業に就いている人を偏りなく数十人という単位で調べたのであれば、そこから全体を推測することはある程度可能だろう。あくまで「ある程度」だが。

正確な数字はのちに検討するが、兼松さんが接した性風俗経験者、個人売春経験者の数は、おそらくこの本に出ている五十九人がほとんどすべてであると見なせる(性風俗や売春とは無関係のものまで含まれているのだが)。

外した例があるとしても、売防法制定直後の数年間に集中しているはず。この頃は逮捕者が多くいたからである。五十九人のうち、二十人が昭和三十二年から三十五年までの四年間に偏っていることに注目していただきたい。三分の一以上が四十年も前のものなのだ。接することができた人たちをそのまま出したからだと推測できる。

その時期を除くと、四半世紀で三十九例。兼松さんが接した「性風俗や売春の問題で相談に来る相談者」の数は平均で一年間に一人か二人程度しかいないと思われるのである。今現在で言えば、一人の相談員が接することができるのは年間一人いるかいないかである(一人が複数の相談員に会うこともあろうから、延べ人数はもっと多いだろうが)。これは相談所のデータが明らかにしている。

私が一年間で会う数より少ない例をもって三十年間のすべてを語ろうとしたのがこの本。

その数少ない例は、前回述べたように、最悪の状態に置かれた女性らのはずである。なのに、「売春もしておらず、ただの素行不良でしかないだろう」「売春をしていたところで、それ自体には問題がない」「売春をやめても偏見で苦しむ」という例がなぜこうも出てくるのかと言えば、そういう例までピックアップしないと本にならなかったからだ。

 

 

たった一例ですべてを決めつける本

 

vivanon_sentence兼松さん自身が認めているように、虚偽も含まれていることが想像できる証言に、売春者すべてを代表させようとするような表現があまりに多く目につく。

この本の第一章は「現代の風俗」となっていて、「グラビアの女」「のぞき劇場」「デートパブ」「デートクラブ」「SM愛人バンク」「ピンクサロン」といった業種別に、最悪の例を紹介しつつ、その業種を説明するやり方をとっているが、これではまるでグラビアに出ている女性がみんなシャブ中のようではないか。三十年間で兼松さんが会った、グラビアにまで出たことのある存在はたったの一人のはず。それだけでこうまで書く厚顔さ。

それを見習って、以降、兼松左知子を婦人相談員の代表として扱うことも許されるだろう(こんな本を出しているくらいで、現実に代表すると見なしていい存在なのだから、そうしたところで批判されるべきではなかろう)。

働いている人たちにとってみれば、「これに比べれば、自分が今いる店はなんて働きやすいのだろう」と読むことが可能だが、知らない人が読むと、どこもかしこもこんなひどいことが日常的に起きていると誤解したとしても不思議ではない。

このやり方は、例えば警察官が、自分が接した犯罪者を取り上げて、「学校教師」「タクシー運転手」「主婦」「鳶職」「畳職人」「公務員」「宗教者」といった職業別に語り、その犯罪者だけで、その職種やその職種に就く人の特性を決めつける本を書くのと一緒である。

「出版関係者は猥褻物で金儲けを企むヤツらばかり。ライターや編集者は大半がシャブ中で、すぐに暴力に訴え、平気で痴漢もやってのける」と出版関係者を評するのは間違いである。そういうのも中にはいるにせよ、これだけで語られたらたまったものではないと感じる出版関係者が大半だろうう。

警察官が接するのは、犯罪者であったり、被害者であったりするのだから、そこにすでに決定的な選別がある。同様に、兼松さんが接した性労働者たちはすでにして選別されている。この偏った選別による手法が、ここでは堂々と使われて、売買春総体を否定し、愚弄する根拠とする。

このことは「あとがき」に象徴されている。

 

 

最近、中学や高校の先生から「女子生徒から売春はなぜいけないのか、と聞かれ、その実態も知らず、どう答えてよいかわからない」という相談を受けることが多い。

また、婦人問題の集まりなどでも、「売春は一般の女性とは関係のない別世界のことなのに、どうして普通の女性の問題でもあるといわれるのかよくわからない」とか、「売春の世界では、人権が侵されたり搾取されているというが、具体的にどういうことなのか」などという質問をよく受ける。

そういうお尋ねには、体験女性が語る事実を伝えるのがいちばんよい方法だと思い続けてきたが、やっと一冊の本にまとめることができた。

 

 

「そんな例はほとんどないので、一冊にするのに苦労しましたぜ」ってか。

 

 

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