下町の女が使っていた言葉をアイドルが復活—女言葉の一世紀 26-(松沢呉一) -2,252文字-
「お転婆はどう扱われたのか—女言葉の一世紀 25」の続きです。
老芸妓の言葉
髪結いに続いて、山村愛花著『女百面相 当世気質』から芸妓の言葉を見てみます。空想の会話ではなく、これは実在の芸妓との会話のようです。
老妓曰く
「この節の芸妓衆と来たらカラ物に成って居ないぢゃありませんか、彼(あ)のざまは何です。口さへ掛れば待合に往ってねえ、貴下(あなた)……何ぢゃありませんか、若い者のヅウヅウしさには呆れて了ひますよ、妾の若いころの話をするとね、又始った姐さんのお株だと笑はれますが聞いておくんなさい」
「昔の江戸前と云ば随分意地も張もあって芸妓気質と誇れたものださうですね」
「左様ですとも、それやね、昔だって随分ダラシのない今の不見転みたいなのも無いではありませんが、其様(そんな)になるとテンで誰も相手にしやあしませんし、先方(さき)でも痒(くすぐ)ったい気がして一座の出来るものぢゃありませんわ、そりゃ幾干(いくら)口幅ったい事を云たって稼業が稼業でござんすもの、男嫌ひだなんってねえお客にヅンヅン肱(ひじ)をくれる芸妓衆でも、コッソリした処にはコッソリした者もありましたさ、夫れまで彼是れ云ふのは野暮の行き止りでさあね……まや此様(こんな)風でござんしたが、今時のやうに権兵衛でも太郎兵衛でも構はず、お金になりさへすれば……」
(と延々続くのだが、これ以降は客の質が落ちて、芸妓もそれに応じるしかなくなり、芸妓たちもかわいそうだという話に展開していく)
「其の代り芸妓衆の方で骨が折れますよ、お茶屋や待合の女将または女中に胡麻を擦って、気楽なお座敷、お金のあるお客を斡旋て貰はねばならないそれにはカラお世辞では当今ダメです、心附といふ奴に中々資本(もとで)が掛っているのです……出銭は素人衆の思はぬ処へ取られて居ますぜ、早いところが髪結賃だって湯銭だって、お定りより三割や四割は多く出さねばならず、お芝居の義理見物がありますさ、芸妓衆はお芝居で一つ狂言を三度も四度も見る、あれは芝居を見に行くのではない役者衆の顔を見るのだ、浮気者は仕方ないと他人様から云れてるのも可哀さうですわ(以下略)」
いつの時代も「最近の若いもんは」と言いたがるものですが、後半はしっかりフォローをしています。
この会話は著者の取材に対する言葉ですから、丁寧な言葉遣いをしており、「ましたわ」とも言っているわけですけど、この「-わ」は男も使う「-わ」でしょう。アクセントが違う。
私の文章を読んでいる人の中には気づいている人もいましょうが、「ありましたさ」「ありますさ」の「-さ」は私も時々使います。もともと私の中にあった言葉ではなく、昔の言葉遣いからパクりました。
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