松沢呉一のビバノン・ライフ

「女便所」から「女性用トイレ」へ—「女子」の用法 6-[ビバノン循環湯 230] (松沢呉一) -2,657文字-

「にょしょう」から「じょせい」へ—「女子」の用法 5」の続きです。

 

 

 

「男湯・女湯」

 

vivanon_sentenceただの「女」でよかった時代から使用されている言葉は今も残っていて、銭湯はどこでも「男湯」「女湯」であり、「男子湯」「女子湯」となっているのを見たことがありません。学生寮などではあるかもしれないですが。「御婦人」「殿方」という表示がなされているのを見ることはありますが、「婦人湯」「殿方湯」にはなっていない。

便所も「男便所」「女便所」と言いますが、「便所」という言葉を使用しなくなるとともに「トイレ」や「洗面所」が言葉を刷新して、「男子トイレ」「女子トイレ」になっていきます。学校ではだいたいそう呼んでいそう。百貨店等では「男性(紳士)用化粧室」「女性(婦人)用化粧室」になっていたりします。

ここでの「女子」「男子」は、若い世代のみを指すわけではなく、国語辞典にあった2の意味です。単に性別を示す。

「男更衣室」「女更衣室」とは言わないですが、中国だと「男更衣室」「女更衣室」だったりします。

中国語にも「男性」「女性」という言葉はあるのですが、広く一般には「男」「女」です。かつての日本でもそうでしたし、文章においても、男は「男」、女は「女」でよかったのです。

今も使用されている言葉で言えば「女盛り」「女手一つ」「女だてら」「女っぷり」「女心」「女の性」「女親」「女きょうだい」もそうです。こういった慣用句やことわざで「女性」が出てくるものが思い浮かばない。「男性」もそうです。「男振り」「男親」「男まさり」「男気」「男っぷり」「男一代」「男心」。ただの「男」。このことも「女性」「男性」が新しい言葉であることを示します。

※写真は台北で撮ったもの。

 

 

明治時代の新聞はみな「女」と「男」

 

vivanon_sentence以下は、明治から大正初期までの新聞記事を集めた梅原北明編『近代世相全史 第一巻』(昭和六年)を適当に開いて出てきた「東京日日新聞」の記事。

 

 

墨の貞操帯(明治十二年十一月十七日)

深川区森下町の人力車夫萩原林蔵(三十)は至って悋気深き男にて毎日職業に出る前には女房のおかつ(二五)の何処へかに印をし昼飯に帰る時篤と検ため夫れから又た印をして出掛ける故女房も馬鹿馬鹿敷はありうるさく思へど是は又た名代の朴直なる女なれば亭主の為す如くに任せけるが此ごろ林蔵の弟の亀吉と云へめが同町に引越して曰く此処へ遊びに来るを兄は大不承知にて夫れより後は昼の一度では済さず日に三度も帰り来たりて亀吉が来て居れば大腹立にて当り散し左なくても臭ひが変だ色が怪しいと下手な衛生家が土用の牛肉を買ふ如く囂(やかまし)く小言を云ふにぞおかつも立切ずして四五日跡に本港町の親類某かたへ逃げ行き委細を咄してとても私しには辛抱か(ママ)出来かねますと云ふ折から林蔵は例の検査に戻り来り女房の顔を見るより怒鳴り込て手を取て連れ帰らんとするを某は止めて是迄の心得違ひをいろいろと説諭しければ林蔵は一言もなく誤り入りて帰りたるが夫れより一層右の検査が厳しくなり其後仕事にも出ずして朝から彼是れと口喧ましく罵りければ流石のおかつも愛想がつきて一昨日其筋へ訴へ出でしとぞ是は女房の苦情が尤もらしい

 

 

「刑事事件になったわけでもなく、こんな夫婦間の下ネタを実名入りで新聞記事にしてんじゃねえよ」って感じですが、当時はよくあること。各種の雑誌が出揃うまでは、それらが担った部分はすべて新聞の領域です。

 

 

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