松沢呉一のビバノン・ライフ

文学に見る「女」と「女性」—「女子」の用法 4-[ビバノン循環湯 228] (松沢呉一) -3,127文字-

自称で使用される「女の子・男の子」のズレ—「女子」の用法 3」の続きです。

 

 

「女の子」と「男の子」の違い

 

vivanon_sentence「男の子」「女の子」という言葉の性差は、他称の際の年齢差だけじゃなく、自称でを使うことにおいても表れます。

他者が言うのはいいとして、二四歳の女が「私は今年、二四歳になる女の子です」と自称している場合でも、「いつまで言っているんだ」と突っ込みたくなります。これが「私は今年、十八歳になる女の子です」と自称していると、それほど違和感はない。私はスルーします。女は十代であれば使ってよし。

対して男の大学生が「私は今年、十八歳になる男の子です」だと違和感があって、ツッコミを入れるかも。 ここには「見方の性差」がある。大学生であろうと社会人であろうと、十八歳の男はすでに大人、十八歳の女は子どもという見方であり、男に対して他者の視線は厳しい。

郷ひろみが「男の子女の子」でデビューしたのは十六歳なので、「僕たち男の子」と歌っていても許されますが、成人していたら厳しかったでしょう。あるいは郷ひろみだから許されていたのであって、キャラによっては十六歳でも世間の目は厳しかったかも。西城秀樹や野口五郎だったら厳しそう。

と同時に現実に女の方が「女の子」という言い方を歳をとっても自称として使用するように思います。その現実に伴って、年齢が高くても、女には「女子」を使う傾向が生じます。これも男女の共同作業です。

そのことを踏まえると、前回見た投稿は、「私は今年、二四歳になる男の子です」というフレーズから、女が男になりすまして書いた文章ではないかと疑えます。「女の子」を自称に使用している女が、男になりすましても、そのままふだんの言葉遣いをしてしまったのではないか。

つき合いだして三ヶ月で男が女に敬語を使わないのではないかとも思うし。しかし、この社会では、男が年上のカップルの方が多いため、女が彼氏に敬語を使い続けることはあります。やはりこの投稿は女じゃないかな。

ま、いろんな人がいますから、男でも成人してから自分を「男の子」と自称するのがいないわけではないでしょうし、いてもいいんですけどね。

※「女言葉の一世紀」に出て来た通り、年齢と無関係に女は男に敬語を使うのが、山の手の作法です。自分の息子に母親が敬語を使うのは気味悪いですけど、そういう時代、そういう層が存在していました。

 

 

「子」はどこから来たか

 

vivanon_sentenceこの投稿を契機に、雨宮まみの文章のどこがどうおかしいのかを説明しようと思い立ちます。「面倒臭いなあ」と思いつつ。

まずは「男子」「女子」のなりたちをざっと調べてみました。

 

 

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