松沢呉一のビバノン・ライフ

愛のないセックスを否定する宗教的道徳心が動機—兼松左知子著『閉じられた履歴書』のデタラメ 10-[ビバノン循環湯 254] (松沢呉一) -5,244文字-

依存症までが性風俗の問題にすり替えられる—兼松左知子著『閉じられた履歴書』のデタラメ 9」の続きです。

 

 

 

解決すべき問題は売春にあるのではない

 

vivanon_sentence閉じられた履歴書』を通して読むことによって、著者の意図とは別に、ここに出てくる多数派の女たちの問題は、売買春ではないことが、はっきり浮き彫りになってくる。

最初から悪いイメージのある「ヒモ」という枠組で見るために、ヒモがまとわりつく「売買春」はいけないということになるのだろうが、これらのヒモはもともと夫であったり、恋人であったりするのだ。

この本の中で、婚姻届けを出している夫がいる女性は十人、同居している内縁の夫がいる女性は十九人いる。つまり半分近くは夫がいて、これらはヒモの存在ともかなり重複している。彼らの中には、最初からヒモになるべく近づいたと思われるのもいるわけだが、それにしても、彼らが近づくことを許してしまうのは、女性が一人で生きていくことが難しいと思わせ、一人でいるよりは男と一緒にいる方がいいと思わせているこの社会だったりする。

何も私は結婚や恋愛を否定しようというのでなく、ここに挙げられたような例で安直に売春否定をする兼松さんに倣うなら、これらの例から、結婚否定、恋愛否定を導くことが可能という話である。

また、兼松さんが挙げた実例の中で、離婚経験者が八人いる。「離婚歴がある」という「傷」をひとたび負うと、社会的に何かと不利なところに追い込まれるものだし、この時に子どもがいればいよいよ女一人で生活していくのは難しい。

なぜソ連崩壊以降、ロシアでは、ああも売春する女たちが激増したのか。価値観の崩壊といった事情もあるが、日本に来ているロシア人に関して言うと、かなりの率で子どもがいることがわかる。

ご存じのように、ソ連は社会保障が充実していたために離婚率が高かった。スウェーデンでもそうだが、女が一人で子供を育てられる環境にあれば、易々と離婚するのが増える。結婚なんて、夫なんて、この程度のもんである。ところが、ソ連崩壊によって、今までのような社会保障が支えられなくなり、しかし、離婚率が下がるわけでなく、すでに離婚した女性もすぐに結婚できるわけではなく、食えない母子が急増したのである。

日本は崩壊も何も、最初っから、女が一人で子供を育てることができにくい社会であることに問題があることがよくわかる。社会保障だけじゃなく、社会の視線としてもだ。女という商品は、結婚対象としての価値がまずは求められるから、その商品価値に傷がついたのなら、もうひとつの商品である売春婦になるしかないということなのだ。

その商品価値を女自身が使って自立をすることをなんとしても否定したいのが兼松左知子という人である。

Pietro Longhi 「The Temptation」 ここでもメトロポリタン美術館の収蔵品を使用してみました。召使いが、到着した娼婦を案内してきたところ。この画家はイタリア人。高級娼婦はフランスのクルチザンヌが知られていますが、イタリアにも存在していたのでしょう。

 

 

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