松沢呉一のビバノン・ライフ

細井家の家計—高井としを著『わたしの「女工哀史」』のもやもや 18-(松沢呉一) -2,879文字-

細井和喜蔵は原稿料で食えていた—高井としを著『わたしの「女工哀史」』のもやもや 17」の続きです。

 

 

 

としをが働いたのは和喜蔵の邪魔だったから

 

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検索してみたところ、星製薬は現在、品川区西五反田のTOCビルの中にあります。よく知られるデカいビルです。おそらく当時もその周辺に工場があったのではなかろうか。ここならとしをが住んでいる下目黒に近い。歩ける距離です。

しかし、亀戸からは遠いため、亀戸に戻った時にとしをは星製薬を辞めます。

和喜蔵としても、としをの仕事の事情を知らないはずがないのですが、「金はあるから辞めればいい」と考えていたのだろうと思います。どうせとしをの稼ぎは安いのです。それより自分の原稿に適した環境を求めたのでしょう。

としをも和喜蔵に「仕事の邪魔」と言われて働き出した程度のものでしかなかったわけで、両者にとってさほど重要なことではなかったのでしょう。

それにしても、人は金のためだけに仕事をやっているのではないのですから、意見くらい聞けばいいのに。和喜蔵はそのイメージとは違って、いかに執筆のためとは言えどもわがままな側面があったとしか思えず、かつ金があると使ってしまうタイプだったのではなかろうか。としをと同じです。結果、一年できれいに買い取り金は使ってしまっています。

 

 

気分で引っ越す細井和喜蔵

 

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わたしの「女工哀史」』によると、和喜蔵は下目黒から亀戸にまたも勝手に引っ越した際に、「やっぱり亀戸の方が性に合っている。こんなブルジョアくさいところで暮らすのは飽きた」と言っていたそうです。としをは「男の人は勝手」と書いています。たしかに勝手です。

家財道具が少ないということもあったのでしょうが、一年間に二回も引っ越しています。当時も今と同様、敷金、礼金は必要だったはずです。としをが書く限りでは、何か重要な理由があったわけでもなくて、どちらの引っ越しも「気分」でしかない。

この行動を支えていたのはやはり金でしょう。

星製薬を辞めて女給になった段階でとしをは「生活のために」とも書いてますけど、この一年に関しては、とても貧しかったとは言えない。金がなかったのは、使ったからでしかないのです。

 

 

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