松沢呉一のビバノン・ライフ

細井和喜蔵は貧しいから死んだのか?—高井としを著『わたしの「女工哀史」』のもやもや 16-(松沢呉一) -2,531文字-

細井和喜蔵を愚弄する人々—高井としを著『わたしの「女工哀史」』のもやもや 15」の続きです。

 

 

 

意味がわからないとしをの述懐

 

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東京新聞」の記述で検討しておかなければならないことがあります。

細井和喜蔵と子どもが亡くなり、毎月のように印税が入ってきた時の「この金が三カ月前にあれば、細井父子の命は助かっていた」という述懐です。たしかに原文にもそうあります。

 

思えば、せめてこの金が三ヶ月前にあったら細井父子の命は助かっていたのに、現代医学の恩恵も金次第なのかと考えると、金があるのがうらめしく、腹がたってならないので、やけくそで金を使ったのです。

 

貧乏であったことの恨みと悔しさ、虚しさによる浪費だったわけです。

最初にこの本を読んでいる時に少しは「あれ? なんのことだろ」と思ったのですが、そのまま通り過ぎてしまい、経済状況が見えてきてから改めて考えると、全然意味がわかりません。

急性腹膜炎で和喜蔵が倒れ、病院に入院し、三日目に亡くなっています。すでに『女工哀史』の買い取り金は残っておらず、その間、としをは金策に走り、三十円を借りています。これは入院費ですけど、金がなくて亡くなったわけではありません。

和喜蔵が亡くなって間もなく、子どもは予定より早く生まれ、生命力が弱く、乳を飲む元気もなく、死んでしまいます。この時は病院に連れて行ってないようで、金がなかったためかとも思われるのですが、そうはっきり書いてはいません。

とくに和喜蔵については、金がなくて手術が受けられなかった、高額な薬が使えなかったといった事情があったら、そう言うでしょう。細井和喜蔵がなぜ亡くなったかの重要な証言であり、聞き書きですから、聞き手もここは突っ込むはずです。私だったら確実に突っ込んでその事情を聞き出します。しかし、それがない。聞いても何もなかったのではなかろうか。

あえて言うなら、倒れた時にとしをは家におらず、「ホソイキトク」の電報がとしをが働く杉並の小料理店に届き、慌てて家に帰って入院させており、金があったらとしをは家にいることができた可能性があり、その分、早く病院に連れて行くことができたのだから、死ななくて済んだかもしれないという意味以上に意味がない。

※先日、亀戸に行った時に知ったのですが、亀戸は餃子人気が高く、「亀戸餃子」と称されています。この藤井屋も人気店のひとつで、この日も並んでいる人たちがいたのですが、この前に別のところでラーメンと麻婆豆腐を食ってしまったので、餃子は食えず。

 

 

女給時代

 

vivanon_sentenceとしをが書いていることをよくよく読むと、貧しいからとしをは働いて生活を支えていたのではないのです。亡くなる一年前くらいからの記述を見ると、カツカツの生活というわけではありません。むしろ、ずいぶん余裕のある暮らしぶりです。

それを確認していきましょう。

 

 

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