鏡とマジックミラーの天国—遊廓や赤線時代からあった趣向-[ビバノン循環湯 261] (松沢呉一) -3,223文字-
「メトロポリタン美術館のパプリックドメイン作品を無理矢理使う」シリーズです。鏡の作品を集めてみました。一番上の作品のみ写真です。
これも「スナイパー」の連載に出した原稿ですが、SMと関係ないっす。
第七天国探訪記
昭和二十年代後半、サイズがA5にリニューアルしてSM専門誌になって以降の『奇譚クラブ』に比べ、B5サイズの頃の『奇譚クラブ』はあんまし注目されませんけど、いい雑誌なんですよ。この時代のものとしてはしっかりとした記事が多くて、性風俗資料としての価値が非常に高い。
では、『別冊奇譚クラブ/第七天国探訪記』を見てみましょう。「第七天国」というのは、1927年の米国映画のタイトルですけど、それとは何の関係もない全国の風俗探訪記事特集です。
大阪(梅田・飛田)、神戸(新開地・三宮)、京都(四条大橋・河原町)、大分(別府)、名古屋(中村)、東京(上野・有楽町)などが紹介されてます。当時、『奇譚クラブ』の版元は大阪にありましたから、関西の記事が充実していて、それ以外の地域の取材は深みがなく、「もっとちゃんと取材しろよ」と言いたくもなりますが、経費がかかるため、じっくり取材できなかったのでしょう。
特に元警察署長が書いた「如何なる星の下に生まれ来しぞ」は大阪・飛田の男娼を描いており、非常に貴重な資料です。東京における男娼の拠点ノガミ(上野)についてはいろんな雑誌に記事が出ていて、リアルな小説も出ていますけど、関西の拠点だった飛田の男娼についての記録はあんまりないのです。
匿名にしても、元警察署長がエロ雑誌に原稿を書くものか、との疑問があるのですけど、この頃は現役の刑事が書いていることがあったり、明らかに警察が提供した現場写真が使用されていることが少なくありません。この記事も、その具体的な内容からして、おそらく本物の手記でしょう。
赤線「名楽園」にあった鏡張りの押し入れ
しかし、今回着目するのはこの記事ではなく、瓜生正美「中京美人の横顔」です。これは名古屋・中村の探訪記です。中村は現在ソープ街になっていますが、かつては阿部定が働いていたことでも知られる中部地区最大の遊廓で、赤線時代は「名楽園」と呼ばれていました。
取材のため、筆者は客として名楽園の店に入るのですが、ここには、面白い趣向がありました。女が押し入れを開くと、中の壁は鏡張りです。普段は布団が入っていてわからないのですが、襖以外の三方が鏡張りになっています。たぶん上下を区切る仕切はないのでしょうけど、狭苦しい押入の中に入り、自分たちの姿を見ながらいたすわけです。
著者は「ひやーあ、こりゃ珍しい」と声をあげながらも、実行する勇気がなくて、女に「あんたは案外、ウブいのね」と言われてます。
金を出して潜入取材しておきながら、体験しないとは何事だと思ったりもするのですけど、体験してないのにしたようなことを書かないだけマシです。SMクラブでも、ヘルスでも、あちこち鏡がついているのが当たり前の今の時代と違って、自分自身の姿を見ながらセックスをするのは気恥ずかしいものだったに違いありません。
筆者は、パリ、上海、ハルピンにはこういう鏡張りの部屋があると書いています。
しかし、この人は自身ではおそらくあまり遊んだ経験がないと思われます。というのも、日本にも戦前からこういう趣向はあったのです。
※Henri de Toulouse-Lautrec「Woman before a Mirror」
大正時代の遊廓にあった鏡張りの部屋
加藤てい子著『廓の子』(第二書房・昭和32年)という本があります。著者は福井の遊廓で育っていて、この本は遊廓での体験を描いた自伝的な小説ですけど、著者がまだ幼い頃、父親は経営を拡大して、古くからあった妓楼を買い取り、そこに珍奇な趣向を施します。鏡の部屋です。中村のようなチンケなものでなく、天井や床にまで鏡が張り巡らされていたとあります。
このために新しがり屋の客たちが集まって、地元ではよく知られる存在となります。そのために父は羽振りがよくなり、よそに女を作った挙げ句に死んでしまい、以降は著者の母が女将となって切り盛りします。
これは小説なので、どこまで本当かわかりませんけど、まったくのウソ話を創作したとは思えず、自分の家ではなかったとしても、少なくともその遊廓でそのような部屋を作ったのがいたのだろうと推測できます。
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