松沢呉一のビバノン・ライフ

編集部と著者の役割分担—著作者人格権について 4-(松沢呉一) -2,666文字-

著作権の非申告罪部分—著作者人格権について 3」の続きです。

 

 

法とは別の基準

 

vivanon_sentence著作者名とともにタイトルも同様に頑なに守られていい。

愛媛県の観光課とタイアップして、出版社が『坊ちゃん』を『無鉄砲先生、愛媛を行く』というタイトルにして出したり、ライトノベルのような文体に書き直して『マドンナはおまえのことが好きだってよ』というタイトルにして出したりするのもまずい。

これは社会的責務とでも言うべきタイトルの同一性についてのルール違反であり、法律もまたそうなっています。

『源氏物語』まで行くと、原文ママでは理解できない層に向けて、ライトノベルみたいな文章に直すこともありかとも思うのですが、これは数百年という単位で成立することであり、ほとんどの人がそのまま読むことができるような著作物ではやるべきではないでしょう。

学校の使用だけでなく、一般に名作と言われる作品の文章やストーリーを子ども向けにアレンジすることは容認されていましょうけど、これも『ガリバー旅行記』くらい古いものじゃないと(300年近く経過)、やるべきではなく、やる場合はあくまで「子ども向け」という領域のみでやることだろうと思います。

また、何百年経とうとも、タイトルはそのままにすべきです。『ライトノベル版・源氏物語』など、源氏物語であることがわかるようにする。タイトルの同一性もまた頑なでいいのだと思います。

なぜ氏名やタイトルは頑なであるべきかといえば、「この作品」という表示をするのが氏名とタイトルであり、同一性を保証する最大の基準だからです。ここが崩れてしまうと、研究上も販売上も不都合が生じます。

「読んでない本かと思って買ったら、またこの本かよ」「この人が書いたのかと思ったら、別の人が書いたのか」「××大学の教授が研究対象にしている本と私が研究している本は同じだったのか」とさまざまな混乱が生じます。

※書影は平田省吾の「ガリバーりょこうき」。平田省吾という名前を知っている人は少ないかもしれないですが、子ども用に書き直した名作ものですさまじい部数を売っている絵本作家です。日本の出版史上、もっとも「著書」が売れた人ではなかろうか。タイトルはそのままだし、あくま子ども向けですので、ここまではいいとして、著者名がスウィフトではなく、平田省吾となっているのは問題ありなんじゃなかろうか。もちろん、どこかしらにスウィフトの名前は入っていて、翻案ということなのでしょうし、これを読んだからって、子どもが「『ガリバー旅行記』は平田省吾って人が書いた」と思い込むようなことはないですから、その点で容認されているのですかね。よくわからん。

 

 

生前にタイトルを変更することの是非

 

vivanon_sentence法的な意味だけでなく、本当は単行本と文庫でタイトルを変更するのはあまりいいことではありません。法的には「意に反する改変」が禁じられているだけで、意に沿っている限り、著作権法では問題にならず、出版界の慣例としてもしばしばなされていることではありながら、できれば避けた方がいいことだと思います。もしそれをやるなら、冒頭に出した例のように、オリジナルのタイトルをサブタイトルとして付けるなどの工夫が欲しい。

 

 

next_vivanon

(残り 1407文字/全文: 2765文字)

ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。

ウェブマガジンのご案内

会員の方は、ログインしてください。

« 次の記事
前の記事 »

ページ先頭へ