私の夏が終わりました—BiSH@幕張メッセ-(松沢呉一) -3,189文字-
初の生BiSH
昨日、幕張メッセで初めて生BiSHを観たのですが、しょっぱなの「オーケストラ」で感極まって泣きました。しょっぱなですよ。比喩ではなく、本当に泣きました。完全に中坊。
私はジッとしていることができない性質なんですけど、昨日はまったく退屈せず。アンコールでのMCは長過ぎたけれど。終わったら2時間半も経っていたことがわかって驚きました。私の夏は一瞬で過ぎ去っていきました。
初BiSHで感じたこと、発見したことはさまざまあって、ステージに関して言えば、かつて多数のライブに通ってきた私は観たことがないものでした。
この日は動画はNG、写真は撮っていいというルールでしたので、これはこっそり撮ったものではありません。
ステージは両袖にせり出している部分があるくらいで、いたってシンプルです。そのステージの上には何もない。メンバーだけ。楽器もない。すべてカラオケですから。大道具さんの活躍の場もほとんどない。
私は二階席にいたのですが、ステージに近くて、とくにこのせり出した部分に来た時には10メートル少々の距離まで接近。顔の表情までが見えました。アイナとは目が合ったと思います。私の頭は完全に中学生です。アイナとは夢でセックスしたことがありますから、あながち勘違いではないはずです。完全に頭のおかしい中学生です。
アイナがここにいる時は写真を撮る余裕がなかったので、以下はチッチです。近いでしょ。
生では初めて観たフレームマシーンによる火の柱など、演出部分ではいろいろあったんですけど、それにしたってシンプルです。
それでもあの熱狂。あれはBiSHの力であるのと同時に清掃員と言われるファンたちの力です。ファンが盛り上げる。
ステージの横だったせいもあってか、音は全然よくなかったんですけど、これもあんまり関係がない。ずっと清掃員たちが歌ってますから、巨大な歌声喫茶です。七千人の歌声喫茶。
BiSHは清掃員が支えていることを目の当たりにしたのは、アンコールの時です。アイドルと言えばサイリウムですけど、BiSHは「サイリウムよりも拳を挙げろ」という方針のため、サイリウムを持ってきている客は少なくて、皆がスマートフォンのライトをつけてアンコールの意思表示。
ここも泣いたわ。トラブルがありまして、ここしばらく私の携帯は使えなくなってます。トラブル自体は解決したのですが、契約解除になってしまい、契約をし直さない限り使えない。それが面倒で放置していて、この日も持ってきていなかったのですが、「電話はかけられなくても、スマートフォンを持ってくればよかった」と泣きました。
この清掃員の熱を作ってきたのはやはりBiSHです。会場に入ってすぐのところに、メンバーへのプレゼントを入れる箱があります。一人一人箱が別になっていて、チッチがダントツ。一番手前がチッチの箱。溢れそうになってました。
これがそのままメンバーの人気を表しているのではなくて、チッチがもっとも清掃員としっかり交流をしているためです。昨今のアイドルは、ファンの名前と顔を覚えるのも仕事で、それをもっともしっかりやっているのがチッチであり、彼女はそれが楽しいみたい。
という個別の交流だけでなくて、BiSHは清掃員をその気にさせるのです。多くの音楽でそういう側面があるわけですけど、ファンは歌に自己投影をする。あるいは歌っている人に仮託をする。それがBiSHは強いのだと思います。
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