松沢呉一のビバノン・ライフ

ノテの女言葉は方言を蔑む—女言葉の一世紀 30-(松沢呉一) -3,645文字-

山の手女言葉に駆逐される下町女言葉—女言葉の一世紀 29」の続きです。

 

 

ノテ婦人の特徴

 

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以下は山村愛花著『女百面相 当世気質』の「山の手の奥さん」に出てくる会話。

 

何れの家庭でも少し体裁を飾るところの奥さんは、挿花を頻りにお遣りになる、活花は殊にノテに流行ってゐるので、これを遣らないと奥さんの肩身が狭いと云ふやうな風になって、お稽古に出懸けになるも多いから、お稽古日には古新聞にお花を包んで、之れ見てくれ妾もお花を遣って居りますよと、意気揚々提げてお帰りになった上で、筒花活にお挿しに成るとき形が崩れやうが、真が横ソッポへ曲らうが、其様ことは一向にお構ひなく、お天狗さまでせ矢鱈にお許しを急いで居られる。その奥さん方も夜分になると縦(よし)や新チリでも、半コートや被布を紡績の上に引っ被けの襤褸かくし、散歩と称して彼方此方からお出懸になる。

「お隣の奥さんですか、何方へお出懸あそばすの……」

「あら、鈴木さんの奥さんですか、意外(とんだ)失礼を致しましたこと、なアにね、一寸散歩に……貴婦(あなた)は……」

「妾も今ブラブラ散歩に参って来ましたわ」

「左様でしたか、最うお帰りなのですか、大層お早いぢゃありませんか」

と話してゐる所謂奥さんなる人は、古新聞に包んだものを捧げてゐなさる、その新聞の破れたところから青いものがチラチラ見えてゐる、散歩と云ふからは夜分お花の稽古でない事は知れてゐるのだ、其の青きものは果たして何であらうか問題である。

 

その青きものはネギやごぼうというオチ。片方は八百屋で買い物をしてきたところであり、もう一人はこれから八百屋に買い物に行くところなのですが、互いに見栄を張り合って、夜の散歩かのように見せていることの滑稽さを描いています。これが山の手の奥さんたち。

ここまで出てきた下町の言葉にはなかった「あそばす」という言葉を使い、互いに敬語を使っています。

著者によると、下町の奥さんたちは、自己本位であり、誰に遠慮することもなく、敬語なんて面倒なものは最初だけ。

対して、山の手は武家屋敷。格式ばってお上には楯突けず、下には強く出る。さらに昭和になってから発展してくる山手線外側の新山の手ともなると、もとはと言えば田園地帯。こちらもお上には楯突けない体質。

なぜノテ(山の手)の奥様たちは買い物に行くことを隠したのかと言えば、山の手では女中を使って、家事を任せ、主婦は生け花や茶道などの習い事に勤しみ、クラシックのコンサートに出かけていくことを理想としているためです。有閑であることが誇りですから、できるだけ家事をやらないのが理想。

表では「宅は余裕がありますのよ」と見栄を張りながら、その実、しっかり家事や育児をやるのがノテ婦人の仕事です。

著者は下町の女が、「宵越しの金は持たない」と見栄を張ることは粋として肯定しながら、山の手の奥様の見栄は虚栄であるとしています。

しかし、広く一般には、こちらこそが女の手本とされていきます。

 

 

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