松沢呉一のビバノン・ライフ

校内で青姦していたのは佐伯祐三か?—奇談クラブ・猥談クラブ・秘密クラブ[上]—[ビバノン循環湯 312] (松沢呉一) -2,189文字-

「スナイパー」の連載に、他で書いたものを合体させてます。

 

 

 

クラブという言葉

 

vivanon_sentence今の時代に「クラブ」と平坦に言えば、若人たちが集って酒を飲んだり、踊ったりする場所のことですね。オッサンが「ク」にアクセントを置いて「クラブ」と言えば、銀座や六本木にある、きれいなおねえさん方が相手をしてくれる社交場のことです。同じアクセントでも高校生が「クラブ」と言うと部活のことだったりします。

もちろん、「スナイパー」誌上で「クラブ」とあれば、きれいなおねえさん方がいたぶってくれるSMクラブのことです。この場合は意味が自明のためか、アクセントは統一されていなくて、平坦に発音する人も、「ク」にアクセントがある人もいます。どっちかというと若い世代は後者という傾向はありますが。

といった意味がいくつかある「クラブ」ですが、広く一般には「高校の時はテニスのクラブに入っていた」という時の「クラブ」がもっとも使われているかもしれず、ここでは特定の場所や空間というより「集まり」を意味しています。

「SMサークル」の「サークル」に近い言葉です。オッサンが行く銀座のクラブも、もともとは会員制の集まりのニュアンスがあります(飲み屋の意味の「クラブ」という用法は、高度成長期になってから出てきたものだと思われます)。

戦前から、「面白倶楽部」「講談倶楽部」「婦人倶楽部」「人情倶楽部」といったように、「倶楽部」という言葉を雑誌タイトルに使用したものは数多くあります。これらも同好の人が集まって、いろんな話をするという意味が含意されているわけです。今もエロ雑誌には「お尻倶楽部」「おもらし倶楽部」のように、この伝統を引き継いでいるタイトルが見られます。

 

 

実在した奇譚クラブ

 

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ご存じ「奇譚クラブ」もその流れにあります。昭和二四年にはクラブを漢字表記した「奇談倶楽部」というカストリ新聞も出ています。いずれも昭和六年に発表された野村胡堂の小説「奇談クラブ」に因んだものかもしれないし、野村胡堂以前から、そういう名称の会があった可能性もありそうです。

「変わった話のクラブってどんなんか」ということですけど、その答えは「奇譚クラブ」の中にあります。

昭和二四年一月に発行された「奇譚クラブ」別冊は「世界歓楽街めぐり」です。上海、モンテカルロ、大連、カイロ、ハルピン、トルコ、ハンブルグ、リオデジャネイロ、マルセイユなどなど世界各国の歓楽街での体験を綴ったものです。日本は横浜と神戸と釜ケ崎が紹介されています。横浜や神戸は港街として理解できますが、釜ケ崎は異質で、これは当時の発行元が大阪にあったためでしょう。

これらは海外に行ったことのある銀行員、船員、医者、外交官、旅行家、作家、作曲家などの「不良老年」による体験談です。彼らは「奇譚クラブ」という会を作り、時々会合を開いては、自らの体験談を語り合う「奇譚クラブ夜話」を開いていて、この別冊は、その夜、語られた話を再録したという形式になっているのです。

実際にこういう会があって、それを再録したわけでなく、雑誌の趣向でしょうけど、まさにこれが「奇譚クラブ」のイメージです。

どんな文化圏でも、自分の体験を語っていく話会の類いは存在するでしょう。その中から夏の風物詩として怖い体験を一人ずつ語っていく「百物語」は今も夏の娯楽として開かれていて、これのエロヴァージョンが出てくるのは自然なことです。むしろ、そちらが先かもしれない。村の寄り合いで、一人一人エロ話をしていったり。

Theodore Russell Davis「Around the Council Fire, The Young Brave’s Speech (Harper’s Weekly, May 10, 1873)」

 

 

校内で青姦していた学生とモデル

 

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戦前出たエロ・シリーズ「猟奇エログロ叢書」の一冊に安成貞一著『猥談クラブ』(昭和六年・三興社)があります。これは新劇女優、洋画家、俳優、歌人、文士、カフェーの女給、酒造会社の日本支社長の六名が次々とエロ話をしていく集まりを再録したもので、著者になっている安成貞一はこの時の司会者です。

 

 

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