松沢呉一のビバノン・ライフ

日本で最も心中を引き起こした事件にして最もよく知られる屍姦(疑惑)事件「坂田山心中」-[ビバノン循環湯 330] (松沢呉一) -4,931文字-

五、六年ほど前にどっかのムックに書いたもの。最後に書いているように、心中現場に着いた途端にカメラが故障してしまったため、私は写真を撮れていません。怪異現象ってことで。

この原稿は当時のいくつかの雑誌記事を元ネタにして書いており、八重子と五郎の写真が出ていたものもあるのですが、その雑誌もどこにあるかわかりません。そのうち大磯に行くことがあったら写真を撮ってくるかと思っていたのですが、いつになっても行く機会がありません。この「坂田山心中」は「女言葉の一世紀」シリーズのこのあとの展開にも少し関わってきて、先に出しておきたい事情が出てきたため、最近ハマっているメトロポリタン美術館のfragment arts(破片芸術。そんなジャンルがあるのかどうか知らない)を無理矢理使ってみました。内容とはまったく関係ありません。

 

 

 

いつの時代にもある事件・今ではあり得ない事件

 

vivanon_sentence大量殺人、猟奇殺人が起きると、しばしばメディアは「前代未聞の」という形容をつける。しかし、人間そのものはそれほど大きく変わるわけではないので、その原型というべき事件は必ずと言っていいほど過去に起きている。

変化するのは殺人の方法やそれに伴う規模である。銃がない時代であれば、当然銃殺はできない。爆薬や毒ガスがなければ、一度に大量の人を殺すこともできない。しかし、人を殺す衝動や動機については、今も昔もそう大きくは変わらないってことだ。

性的な犯罪も、今起きていることはたいてい過去に類似したものが起きていて、過去に起きていることはたいてい今の時代に類似したものが起きる。その欲望は大きくは変わらないわけだが、ここでもやはり環境が変化することによって、過去には起きない犯罪が起きたり、過去に起きていたものが今は起きないということがある。

過去に起きていて、今起きにくいのは屍姦だ。現在の日本ではほとんどの遺体は火葬され、土葬は条例で禁じられている自治体も多い。このため、屍姦をしようとすると、亡くなってから火葬される数日の間に実行するしかなく、その機会があるのは身内の人間と医療関係者、葬儀関係者くらいしかいない。場合によっては警察も。

あるいは最愛の人間を亡くし、しばらくそのまま自宅に安置して愛し続けるようなこともあるかもしれないが、これも都市部では住環境が許すまい。

しかし、ほんの半世紀ほど前までは、東京でも土葬が残っていたように、全国各地に土葬の習慣がなおあって、その頃ではあれば墓を掘り出せば遺体は入手が可能である。

あまりに日常性がないためか、屍姦を理解できる人たちはほとんどおらず、そんな性癖をもつ人がいたのかどうか疑問にも思えるのだが、いたんである。

古い雑誌を読んでいると、頻繁とは言わないまでも、屍姦の話が時々出てくる。

切ない屍姦というのも中にはあるのだが、ここではおそらく日本でもっとも知られる屍姦事件を取りあげてみたい。正確には「屍姦疑惑事件」であり、火葬にもかかわらず、屍姦が疑われた事件だ。

「Chest of Akhenaten」

 

 

大磯で若い男女の遺体が発見された

 

vivanon_sentence昭和七年五月九日、神奈川県大磯町の山林で毒死した男女の遺体が発見された。男は調所(づしょ)五郎(二四)。慶応大学の学生であった。女は五郎の恋人であり、素封家の娘である湯山八重子(二二)であった。

二人の出会いはこの四年前に遡る。

当時、八重子は静岡の実家を離れ、東京白金にある頌栄女学校の寮住まいである。クリスチャンである八重子は聖アンデ教会に通っており、そこで知り合ったのが五郎であった。

五郎は華族の血筋で、彼もまたクリスチャンである。家がこの近くだったため、同じ教会に通っていたのだ。

いつしか二人は会話を交わすようになり、やがて恋に落ちた。白金ではしばしばともにいるところを見られるようになり、五郎の友人たちも、八重子の友人たちも、彼らを恋人同士と認めるようになっていった。

五郎の両親も二人の関係を容認しており、五郎は八重子と結婚する気であった。しかし、八重子の両親は許さなかった。五郎は家柄もよく、大学も申し分ないのに、なぜこの二人の関係を許さなかったのかの事情がよくわからないのだが、かわいい娘を手元に置いておきたく、両親の知る相手と結婚させたかったのだろうか。

見合い結婚が当たり前だった世代と、恋愛結婚をする世代との対立はしばしばこの時代には見られた。東京にやったがために娘が勝手に恋愛に落ちたこと自体が許せなかったのかもしれない。

二人の関係を引き裂く意味もあって、頌栄女学校を卒業した八重子は静岡の実家に引き戻されてしまう。「女学校の時に通っていた歯医者に行かなければならない」などと口実を設けては東京に出てきて、五郎と会う八重子だったが、離れている時間が二人にとっては耐えられなくなってきた。

離れ離れになって二年経った昭和七年、二人は心中することを決意する。

 

 

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