松沢呉一のビバノン・ライフ

女学校は女の社会進出のために存在していたのではなかった—女言葉の一世紀 43-(松沢呉一) -2,708文字-

女学生(JG)はコギャルであった—女言葉の一世紀 42」の続きです。

 

 

 

良妻賢母と「新しい女」の間

 

vivanon_sentence前回の澤田順次郎の文章(口述筆記本のようです)は、説教親父の愚痴っぽくもありますけど、『男の観た女』(大正十年)の以下の指摘は納得できなくもない。

 

 

近年教育の進歩と共に、女学生の増加は頗る多く、之れは洵(まこと)に結構な事である、そして年々教育の程度も高く且つ広くなって来るのは何より喜ばしい事である、併し是等の問題は別として、著者の眼に映じたる女学生と云ふものは、どんなものかと云ふと、甚だ失敬だが一ト口に言へば頗る生意気である、贅沢である、ハイカラである、お転婆である、虚栄の権化である、不幸者である、結局するに馬鹿であると云ふ事になるのである。

成程学問は普通の女子よりは出来る、学ぶから出来るのは当然である、従って智識もある、併し其学問智識に依って、自己の品性を正し、人格を高め、天晴天下の良妻たり賢母たらんとする者は少ないのである、否たらんとはするだらうが、たり得ない者が多いのである。

尤も女子の学問智識を得るのは、強ち良妻賢母たらんが為めにのみ学ぶのではないが、夫れにした所で、大した職業を得て之れで大成功する、と云ふ事も為し得ぬのである、大した所ではない、普通職業をも満足に遂行し得ぬのが多いのである。

 

 

「女が社会進出をして自立していく」なんて考えるのは「新しい女」であり、女学校の多くはこれを否定していたのですから、馬鹿になるのは半ばやむを得ない。

そのスキルもそれ用の知識も身につけておらず、ただ役に立たない知識だけを得た馬鹿で生意気な女学校出はさぞかし使いにくかったのだろうと想像できますが、その責任は女学校と文部省にありましょう。

 

 

高等女学校令と良妻賢母

 

vivanon_sentence女学校の多くが良妻賢母を掲げていたのは、高等女学校令で規定されていたためです。これは明治三二年に勅令として出されたもので、長らく女学校を規定していました。

この第一条に「女子ニ須要ナル高等普通教育ヲ為スヲ以テ目的トス」と定められています。

 

 

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