なぜ退学する生徒が多かったのか—女言葉の一世紀 57-(松沢呉一) -3,423文字-
「東京の女学生にお転婆が多かったのは富裕層だったから—女言葉の一世紀 56」の続きです。
出身小学校
東京女子高等師範学校附属高等女学校編『創立五十年』(昭和七年)には、さまざまなデータが掲載されています。過去10年間の入学者の出身小学校も出ていて、附属小学校が多いのは当然として、それ以外の本郷区の小学校卒業者が109名。近いところの学校に行く傾向があるでしょうし、屋敷町でもありますから、これは納得しやすい。隣の小石川区が56人。これも条件が近い。
次は豊島区で41名。これは豊島師範学校附属小学校があったため。大多数の37名はここの出身です。
以下、赤坂区と牛込区が30名。淀橋区28名、渋谷区24名、四谷区19名、芝区17名、品川区16名、麹町区13名、あとは一桁。
人口は多かったはずですが、浅草区、深川区、下谷区あたりは数年に1名といったところ。山の手が強い。
国立の女学校であってもこうなんですから、私立の女学校ともなると、まして百姓の娘はいるはずがなく、一教員の娘や一記者の娘もほとんどいなくなるのではなかろうか。住んでいる場所もさらに西高東低が強まりそうです。
なお、地方出身者が少ないのは、寄宿舎がないためでもありそう。詳しい記述は見つからなかったのですが、地図を見ると、大正時代までは敷地内にあって、関東大震災で焼けたのかもしれず、それ以降は地方出身者が激減した可能性があります。
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