障害者専門デリヘル嬢の体験—スカーレットロード [5]- (松沢呉一) -2,929文字-
「車椅子でも入れる店もあるのだけれど—スカーレットロード [4]」の続きです。障害者の話が続きますが、障害者とセックスワーカーの関係を論じたいのではなくて、「国によって法が違う。業態が違う。文化的背景が違う」ということを論じたいので、誤解なきよう。「スカーレットロード」自体、広くセックスワーカーと障害者の問題をとらえたものというよりも、あるセックスワーカーとその客の関係をとらえたものです。
障害者専用デリヘルでは解決しないこと
「地域特性と法規制の関係-「闇の女たち」解説編 25」で説明したように、日本は集娼スタイルが続いている国です。
デリヘルは集娼とは違い、むしろ散娼に分類すべきスタイルかもしれないですが、どのみち個人のセックスワークは成立しにくい。出会い系にはいっぱいいますが、セックスワーカーの自覚は薄い。薄いままでできるところにあの方法のメリットを感じている層です。
以前、説明したように、たとえばヨーロッパの飾り窓も個人営業です。この方法はセックスワークの完全な非犯罪化を求める動きからは批判をされていますが、そもそも日本ではあのような「部屋貸し」という方法も難しい。
なかったわけではないですが、日本では一部地域でしか定着しませんでした。広島のマントルとか。先日、復活させた「ノガミ旅行記」に出てきた竹の台会館も珍しく部屋貸しスタイルでした。
これが広がらなかったのは客も働く側も個人営業を嫌うためです。この領域に限らないことであり、私らは組織が安心、集団が安心。肩書き文化、所属文化の国です。会社が大好き。
法がそれを作ってきたとも言えるし、国民の意識が法の管理を求めてきたとも言えるのですが、どちらであっても、現状こうなっている。そのことをすっとばして、個人文化の国のやり方を真似はできない。仮にそれを目指すなら、売防法だけでなく、風営法が邪魔。少なくとも、風営法の中に個人営業を前提とする条項を加えなければならない。
というところから、既存の方法の中から出てきた障害者専門のデリヘルが、日本においては実現可能な方法ということになっていくわけですけど、これで助かる人たちがいるのは事実として、それだけでは解決しない。
同じく「スカーレットロード」を観て、「これで解決する」と思ってはまずい。日本は法や環境が違うし、あれはあるセックスワーカーと客たちの関係を描いたものであって、オーストラリアにも、その外側にはいろんな障害者がいて、いろんなケースがあるわけです。
※「スカーレットロード」より
障害者専門デリヘルで働いていた人物の証言
もう十年以上前になりますが、私らの仲間で、障害者専門デリヘルで働いていたのがいました。Aちゃんにしておきます。
メシを食ったり、カラオケをしたりしながら、Aちゃんから、その辺のことをよく聞いていました。それまで私は店の事情と店舗で働く女子の事情は聞いてましたし、性風俗店に出入りしている障害者の事情も時折は聞いてましたが、Aちゃんの話はそれとは相当に違ってました。
結局のところ、全体を知るのも細部を知るのもいかに難しいかってことです。もちろん、彼女の話もまた全体からすればパーツですから、多数の人に話を聞いていくしかなく、私自身なお一部しかわかってません。自分がわかっていないとわかるのが大事。断片でわかった気になるのはまずい。
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