松沢呉一のビバノン・ライフ

工場法を巡る廃娼運動の不可解—女言葉の一世紀 80-(松沢呉一) -3,039文字-

国際会議でも批判された日本の女工環境—女言葉の一世紀 79」の続きです。

 

 

 

海外からの批判でやっと女工の労働環境が改善へ

 

vivanon_sentence前回引用した新聞記事で、英国の日本バッシングはインドにおける綿工場の労働環境の悪さを棚に上げているという指摘はそれなりには正しく、また、かつては英国本国でも工員の労働環境がひどかったのも事実のようですが、日本は日本で批判されるのは当然です。当時はこんなもんですけど、新聞が一方的に自国政府の肩を持つのは気持ち悪いっすね。

あの記事に出ていた「工場法」が気になりました。

石津三次郎著『改正工場法解説』(大正十五年)によると、工場法が成立するまでには、長い長い歴史があって、明治十五年からその前史が始まっており、「労役法」「師弟契約法」などの法案のための調査が始まり、明治二十年に「職工条例」「職工徒弟条例」の草案が完成しながらも、外に出ないまま廃案に。

廃案になった理由は書かれていないのですが、業界からの圧力なり、業界への配慮なりがあったであろうことは想像に難くありません。

明治二九年、これらが「工場法案」になり、今度は国会に提出されますが、これは議会の解散のために廃案に。

明治四二年。十六歳未満および女子の夜間就業禁止の「工場法案」が出されますが、綿糸紡績業者が夜業廃止に対して猛烈に反対をし、政府はこれを撤回。

明治四三年、ついに工場法成立。前史からカウントすると三十年近くもかかっています。ただし、この時点で十六歳未満および女子の夜間就業禁止は含まれていなかったのではなかろうか。さもなければ『女工哀史』の時点で、あのような現実はなくなっていたはずですから。では、いつから施行されたのかは、この本を読んでよくわからず、国際会議での圧力と条約批准によって改正をしていったようにも見えます。

「改正工場法」の前には十六歳未満および女子の夜間就業禁止になっていたようですが、適用外の工場の規定があったようです。抜け道です。

深夜の時間を一時間延長して、女子と若年者が働けない時間を増やす内容を含む「改正工場法」は大正十五年六月に勅令により施行が決定し、同年七月一日から実施。ただし、ここでも経営側に配慮をして、あれやこれやの条件がついて、なおかつしばらく猶予期間があって、果たしてどこまで実行されたのか。

※京都府工業衛生会編『工場衛生資料. 第34輯 女工手服装の研究』(昭和九年)より、東洋紡績伏見工場の作業服。食品工場ならいざ知らず、紡績工場で帽子をかぶっているのは衛生上のことではなくて、髪の毛が機械に巻き込まれる事故を防ぐためだろうと思います。『女工哀史』にもそういった事故の話が出ていたはず。

 

 

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