松沢呉一のビバノン・ライフ

マネキンの登場と人種展示とのつながり—女言葉の一世紀 82-(松沢呉一) -3,291文字-

レビュー・ガールとダンサー—女言葉の一世紀 81」の続きです。

 

 

マネキンが大流行り

 

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マネキンというのは、マヌカンでありますが、ただの店員、ただのモデルではなく、販促要員であり、今で言えばキャンペーンガール、キャンギャルです。

しかし、始まりは接客はなく、モデルと言っていいような仕事です。

昭和三年、高島屋に初めて登場したマネキンは、人形のマネキンと同じくショーウィンドーの中に立っているだけの存在だったのですが、黒山の人だかりになって警察が出動するほどの騒ぎに。

前にも取り上げた『コンマーシャルガイド』(昭和五年)によると、これが話題になってマネキンの劇が日比谷音楽堂で開かれたとあり、「黙劇」と評しています。つまり一般の演劇と違い、セリフのない劇だと。

この著者は自分の目で見たわけではなく、そう評するしかなかったのかと思うのですが、これってファッションショーなのではなかろうか(日比谷音楽堂ではないと思いますが、マネキンたちによる「黙劇」らしき様子を撮った写真を見つけてまして、数回あとに出てきます)。

このマネキンという新業種は、英国が発祥の地。佐々木十九著『奇抜な広告で成功したる実例』(大正六年)によると、1910年の日英博覧会の頃、イギリスの店舗で、ショーウィンドーの中に生きた人間を展示したのが最初とのことで、ここから生身の人間を使ったさまざまなキャンペーンが始まります。

この日英博覧会では、この時代の博覧会につきものの人種展示がなされていて、台湾生蕃とアイヌを展示。人種展示、人種博覧会の類いをどう評価するのかについては議論があって、そう簡単に「いい」とか「悪い」とかと評価ができないところがあります。とくにこの日英博覧会では複雑な条件がからんできます。

 

 

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