忘れられた元祖スチュワーデス「エヤ・ガール」—女言葉の一世紀 86-(松沢呉一) -3,223文字-
「エレベーター・ガールとエスカレーター・ガール—女言葉の一世紀 85」の続きです。
昭和初期にマニキュア・ガールが存在していた
「美容術の開拓者・北原十三男とメイ牛山—女言葉の一世紀 67」に、ハイカラ女学生の中にはマニキュアをしていたのがいたのではないかと書きましたが、婦人職業指導会編『最新婦人職業案内』(昭和八年)に、「マニキュア・ガール」が出ているのを見つけました。
最初やすりをかけて爪をお好みの型に切ります。それから石鹸水で洗ひ、むしタオルで温め、薬品で爪の生え際の肉をやはらげ、その肉をそぎます。次にはエナメルで艶を出し、スチームで蒸し、紅をつけ、パウダーで磨きます。これがマニキュア・ガールの仕事であります。
美容院、理容院でやる仕事で、十六、七歳までの少女がやるものであり、月給は三十円くらい。学歴や資格がなくてもできる仕事としてはいい給金です。
多数出ている女子就職読本で、マニキュア・ガールを取り上げているものはこの本くらいしかなかったと思います。つまりはマニキュア・ガールを雇い入れている美容院、理容院はそうは多くなかったのでしょうが、数が少ないにしても、こんな仕事が成立していたのですから、それなりにはすでにマニキュアをしている人たちがいて、ハイカラ女学生でもしていたのがいたに違いありません。数年あとになると、婦人団体に贅沢だとしてチェックされたでしょうけどね。
高等小学校を出ていると、一年か二年しかできない仕事ですが、おそらくこの仕事はこれ自体で成立するのではなく、美容師の見習いがすることが多かったのだと思います。まずはさして技術のいらないマニキュア・ガールをしつつ、掃除をし、洗濯をし、やがては修業を積んで試験を受ければ美容女学校に行く必要はありません。
美容師は髪結いの時代同様、安定した収入を得られましたから、月に三十円もらって修業ができるんだったら、いい条件かと思います。間違いなく今の見習い美容師よりも待遇はいいです。
※メイ・ウシヤマ著『近代美しき粧ひ』(昭和三年)より。マニキュアをすると皺が消え、指が細く長くなり、手の形まで変わっているぞ。すげえぜ、マニキュア効果。
スチュワーデス事始め
この本から、もうひとつ、ほとんど取り上げている本がない職業をご紹介。
エアー・ガール、つまりスチュワーデスもこの時代に登場しています。取り上げられていないのも当然で、初登場は昭和六年、それまでは存在していなかった仕事です。
(残り 2268文字/全文: 3368文字)
この記事の続きは会員限定です。入会をご検討の方は「ウェブマガジンのご案内」をクリックして内容をご確認ください。
ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。
会員の方は、ログインしてください。
外部サービスアカウントでログイン
Twitterログイン機能終了のお知らせ
Facebookログイン機能終了のお知らせ