松沢呉一のビバノン・ライフ

民主主義さえも否定した山田わか—女言葉の一世紀 128-(松沢呉一) -3,726文字-

女の社会進出を全力で否定する山田わか—女言葉の一世紀 126」の続きです。

 

 

 

女工の環境を女の労働否定につなげる愚

 

vivanon_sentence山田わかが女権論に反対し、婦人参政権に反対し、女性の社会進出に反対した理由は母性であることは言うまでもありません。

 

 

女権論者達が理屈の上で、どんなに本当らしいことを云った処が、妊娠、哺乳と云ふ重大な役目が男子になくて女子にのみある以上は、経済的の労働に於て断じて女は男と競争することは出来ません。ですから、経済に其の基礎を置く婦人論は、生理に其の基礎を置く婦人論と共に早晩壊されなければならないものです。

 

 

以前確認したように、「女の社会進出」が主張される前から、農業や漁業においては女たちの労働は必須でした。子育ては家族全体でやる。もしくは村全体でやる。金銭的余裕があれば子守りを雇う。山田わかが依って立つ母性は武家や一部商家のものでしかありませんでした。

では、山田わかはそれら婦人の労働をどうとらえていたのか。

 

 

我が国の女権主義者のうちにも、農業地や漁業地や、其の他の労働階級の婦人達が男子と同じやうに烈しい労働に服してゐるのを見て、其れを標準に、婦人も男子と同じやうに働けることの証拠としてゐる人があります。併し、果たして、さう云ふ烈しい労働に従事してゐる婦人達が次代の養成者として、つまり、次の国民の母として価値ある素質を備えてゐるかどうか、これは大いに考へて見る必要があります。私の見る処では、それ等の婦人達は、烈しい無理な労働を始終続けてゐるために、国民の母として豊かに持ってゐなければならない女性の特質である、やはらか味と、あたたかさを、其の内面からも心からも絞り取られてしまってゐます。甚だしきに至っては、生理上、不具になってしまってゐます。

かう云ぬ婦人が生み、且つ、育てた子供が果たして、有力な国民と成り得るものでせうか?

男子の労働は文字通りに、唯、労働を売るだけですみます。けれども、種族的の責任を負うてゐる婦人の烈しい労働は、女性としての作用を衰弱させ、時には、全部破壊してしまひます。それだけ、次の国民の力は衰弱させられるのであります。

かう考へると、生理の上に基礎を置く男女同等説は男子の圧制に逆上した女権主義者の迷ひであり、迷ひであるから、全然失敗であると云ふことが明らかになります。

 

 

女は家庭に籠ることで初めて女らしくなれるのであると。

対して農業や漁業に従事したり、女工をするような女たちは出産や育児をないがしろにし、その子どもは時に「不具」になるのだと言ってます。この人にとって女の理想は専業主婦であり、家で家事と子育てさえしていればいいのです。それしか女には能力がないのですから。

女工になることで体を悪くする例や場合によっては死に至る例が多数あったのは事実ですが、ここで「烈しい労働」を取り上げているのはズルです。「烈しい労働」をネタにして、女の労働全体を否定する論理になってます。

女工の環境改善をするために労働運動が起き、伊藤野枝は労働運動の中に飛び込み、細井和喜蔵はその実態を伝えるための執筆をしていました。それらも無駄だというわけです。

山田わかは労働環境の改善を求めるのではなく、環境の苛酷さを、女の社会進出否定の根拠として利用しました。サイテーの人間です。

※これは英国婦人参政権実施100年を伝える英ガーディアン。写真は刑務所から釈放されたWSPUのサフラジェットたち。

 

 

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