松沢呉一のビバノン・ライフ

実態調査に道徳は不要—『街娼 実態とその手記』を検討する[4]-[ビバノン循環湯 514] (松沢呉一)

「楽しい」と答えた人たちに何を見るか—『街娼 実態とその手記』を検討する[3]」の続きです。

 

 

 

調査の分析に道徳は邪魔

 

vivanon_sentence編者である竹中勝男は『街娼』の冒頭に掲載された総論的な部分で、「満足」「面白い」「なんとも感じない」「不明」を合わせ、[すなわち五二%という半数以上のものが、貞操売買の生活への希薄な低度の倫理意識にある]と嘆いています(ここでの数値と、データ解析の部分の数値が合わない理由は不明)。

おかしな集計方法を駆使して、動機を経済的事情とまとめることで何とか納得できても、経済的事情が解決してもなおこの仕事をやめず、満足したり、面白がったりしていることがこうまで出てしまうと、もはや自分自身をもごまかせず、現実を認めた上で、倫理が低いことに理由を見いだします。そもそも赤線で働くことができるのに、どうして街娼をするのか、どうして日本人相手ではなく米兵相手なのかを考えれば答えはすでに出ているのですけど、それを理解する知力がなく、知力をあっさり道徳が乗り越えてしまってます。

また、もう一人の編者、住谷悦治はこう書いています。

 

積極的に「恥ずかしい」と答えた女性は四・五%、九名に過ぎないし、「恥ずかしい、辛い」と答えた女性が二名、一%にすぎない。「恥ずかしい、いやだ」と答えたものが一名すなわち〇・五%、「恥ずかしいが満足だ」と答えた女性が一名、〇・五%ある。倫理的な意味における「恥ずかしい」という言葉をもって問題に答えた女性は、かくのごとく少数であった。これをもって、真相を明らかにしうるとはいえないであろうけど、街娼たちに、高い意味における倫理性の極めて稀薄であることは知られるであろう。

 

「既存の道徳観に照らし合わせて」という意味で、[倫理性が極めて希薄である]とは言えますが、それ以上の意味ではなく、このような主観的な言葉を学者が言うべきことではない。

この人は、自分が書いたこのことの証拠として、病院での彼女らの言動を取り上げています。

 

例えば比較的上品な態度で、済ましこんでいる街娼が、ストーブの廻りをとりまいて話し込んでいるとき、話のはずみに、突如として野卑な言葉で問題を提起することなどに逢えば人々は吃驚するであろう。当研究所調査名簿No.1のK・Kという街娼が「ロスケの△△は大きいか?」とか「東京の兵隊の△△△は味がよいか?」というような常人の耳にするに堪えない野卑な言葉を平気で使って、話題を切り出せば、それに相槌を打って答える街娼も、顔色一つ変えないで、同じレベルの言葉とその内容をもっと相互に対応しているのである。その会話において、何らの羞恥心を示していない。それを聴いている街娼たちも同じく、同様なレベルの興味と関心と野卑な露骨な言葉をもって相応じ、かくて、話題がはつらつとして楽しげに展開して行くのである。

 

ホント楽しそう。私も加わりたい。住谷悦治人は、学生時代にエロ話のひとつもしたこともないんでしょうか。長屋のオバちゃんたちが井戸端会議でエロ話をしているのを知らないのでしょうか。街娼の実態を調べる前に、女性らの実態を知る必要がありますね。

しかも、この数値は、検挙された女たちの答えであって、実際にはこれよりはるかに、満足、面白いと実感しているはずです。

この調査とは別に、平安病院の榎本貴志雄が165名を調査したところ、「辛らい」が53・1パーセントいたことが『街娼』の注釈に参考資料として紹介されていて、[性病の専門家の問いにたいする彼女らの答えと、医学の専門外の、単なる社会学徒による問いに答えるのは、答えが意識的に異なったのか、辛らい事情が少なくなったのか、不明]とあります。

ここに述べられているように、平安病院の調査の方が時期が早く、めまぐるしく環境が変わった時代だったがための違いである可能性もなくはないのですが、なにより環境の違いでしょう。検挙されてすぐはまだ元気がありますが、病気が発見されて強制入院となれば辛いに決まってます。ほとんど刑務所に近い環境ですから。また、平安病院は赤線女給もいましたから、その質の違いも反映されているのだろうと思われます。

調査の対象によって大幅に数字は変わるものです。いずれにしても、検挙され、軟禁状態にある女たちなのですから、実際よりもはるかにネガティブな感情が引き出されやすいことは間違いありません。

この検挙自体を彼女らは強く批判していて、「不満」という数字の中には、警察に対する不満も相当数入っていると思われます。

WILLIAM GOLDMAN Untitled, 1892 – 1900

 

 

キャッチさえなければ天国

 

vivanon_sentence愛する米兵に[処女を捧げ]、現在、3人目の相手とオンリー生活をするJさん(18歳)はこう言います。

男を変えてまで、ついているのは、行為そのものが好きなのかも知れません。自分にもよくわかりませんが。/オンリー・ワンでキャッチされるのは大変癪に障ります


そりゃ、行為そのものが好きなんだと思いますよ。セックスが好きだったり、相手の男が好きだったりするだけのことです。相手が日本人ならいいのに、アメリカ人となった途端に罪人扱いになるのは解せません。やがては日本人向けの街娼も検挙されるようになりますが。

Kさん(19歳)は、母と姉と三人暮らし。帯揚げの絞りの仕事を内職にしていますが、金が足らず、友だちの紹介で米兵と関係。

◯◯と交際する気になり、英語を練習し室を一室借りました][××と巡査が二人来てキャッチしました。巡査Oは靴のまま上り、私が支度するあいだハモニカを鳴らしていました。私は今の生活には満足していますが、キャッチさえなければ天国だと思います

これに対して、話を聴いた人による[パンパン生活に何も反省も、羞恥心も育っていない]との付記が書き添えられています。米兵との交際のために英会話の勉強したり、売春生活が天国とまで言うことに、さぞかし呆れたのでしょうけど、それが現実です。

とっくに生きてはいないですが、この調査者たちに私は問いたい。「戦争をやり、それに反対もしなかったであろうあなた方の道徳観は、街娼たちの道徳観より高いのか?」「彼女たちが十代から二十代にかけての青春期に、オシャレもできず、化粧もできず、パーマでもできず、遊ぶこともできなくしたことに対する負い目がわずかでもないのか?」「そうされた女たちの言葉に真摯に向かい合うこともできずに、道徳を持ち出すしかない自分の情けなさや、研究者としての無能さを自覚したことはないのか」「あんた方こそ反省と羞恥心を感じるべきではないのか」と。

 

 

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