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【オフ企画スタート!/第1回は無料記事】髙橋延仁(FC東京U-18出身) Interview/01(2014/12/15)

オフ企画スタート!/第1回は無料記事◆髙橋延仁(FC東京U-18出身) Interview/01

 

 

本日からオフ企画をスタートします。
まずはFC東京U-18出身、髙橋延仁選手の連載Interviewから。
第一回にかぎり無料でお読みいただけます。
このあとも新チーム始動までさまざまな記事をお送りしていきますので、お楽しみに(この項、cooperate/Akihiro Shimura)。

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髙橋延仁と聞いてすぐにそのイメージが思い浮かぶ青赤ファンは、年季の入ったFC東京U-18ウオッチャーということになるだろう。たとえ知らなかったとしても、馬場憂太/尾亦弘友希世代だと言えば、おわかりになるだろうか。

中学三年間は三菱養和でプレーしていた髙橋は馬場憂太らとともにFC東京U-18へ(このくだりは次回以降)。高校三年時、第25回日本クラブユースサッカー選手権(U18)大会優勝、高円宮杯第12回全日本ユース(U-18)サッカー選手権大会準優勝、第9回Jユースカップ2001Jリーグユース選手権大会準優勝という金字塔的記録を打ち立てる。

東京農業大学で斉藤紀由(FC群馬ホリコシ~アルテ高崎、ロッソ熊本~ロアッソ熊本、東京ベイFC)や石川高大(V・ファーレン長崎、FC刈谷)とともにプレーした髙橋は卒業後の2006年、企業チームの佐川急便東京SCに加入。爆発的な突進力を持つ右サイドバックとしてブレークする。翌年、東京と大阪が合併した佐川急便SC(2008年にはSAGAWA SHIGA FCと改称)に“移籍”。ここでもレギュラーとして黄金時代の形成に貢献した。

SAGAWA SHIGA FCが解散するその前年の2011年かぎりで同チームを退団した髙橋は2012年、タイリーグディヴィジョン2(3部相当)のアントーンFCに加入。同クラブをディヴィジョン1(タイプレミアリーグから見て2部相当)に昇格させ、いまや同地のファンや関係者が認める存在となっている。

そんな髙橋が今秋にタイから一時帰国した際、忙しい合間を縫って単独取材に応じてくれた。場所は中目黒のバー「BARアオトアカ」。タイ生活についても話してもらったが、それは別の機会に譲るとして、ここではFC東京ファンに関係のある国内サッカーのキャリアについてお送りしよう。

 

 

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この日はビールをチョイスした髙橋。アルコールは大丈夫なのかと訊ねると、次のように答えられた。
「大丈夫です。いまオフなので。だいたいシーズンが始まるともう呑まないですね。リーグ戦が終わったあとで翌日がオフのときくらいです。タイ人はお酒が超好きですね。しょっちゅう呑んでる」
外国籍選手には毎日呑む者もいると言う。かつてミラン・ラパイッチがコーラがぶ呑みで話題になったことがあるが、飲食がラフでもプレーに差し支えないか否かは、お国柄や個人差の問題なのだろう。しかし髙橋は一滴も口にしない。
常に一定のコンディションを保ち、安定したプレーはそこから来ているのだろうか。
現在の髙橋を育んだものはなんなのか。まずはFC東京U-18の三年間について訊いた。

――いきなり全国の舞台に躍り出た世代ですね。どうしてあんなに強くなったんですか。
「まず、柴田(峡氏、当時のFC東京U-18監督)さんが“三年計画”を立てていたらしいんですよ、三年かけて優勝させようと。(主力は)みんな一年から試合に出ていました。一年のときは全国大会に出ましたけれど、負けて。二年のときには出られなかった。三年で優勝」

――クラ選(日本クラブユースサッカー選手権(U18)大会、7月末~8月頭)ですね。そこで日本一になって、あのあと8月末、鳥取バードスタジアムで試合をしていましたよね。
「高円宮杯(高円宮杯第12回全日本ユース(U-18)サッカー選手権大会)ですね。鳥取での1、2回戦に勝って、西が丘の準決勝でサンフレッチェ広島ユースと対戦してPK戦までもつれ込みました。あの世代では、だいたいいつも準決勝辺りで広島とよく当たっていたんですよ」

――トップチームのファン、サポーターも応援に駆けつけた国立競技場の決勝では国見高校に負けてしまいました。
「平山相太が途中から出てきて。オレ、(平山を)知らなくて(笑)。なんだあの、でっかいの出てきたなぁ~、と思っていたら、すんごいシュートを入れられて。残り5分、10分くらいで(※後半39分、打点の高いヘディング)。すごいよ、と驚きました。あのときの国見は小嶺(忠敏)先生で、強かった」

――ところでFC東京U-18は後輩もそうそうたるメンバーでしたね。
「二個下は梶山(陽平)とか、チュンソン(李忠成、浦和レッズ)とか。まだ現役でつづけているということなら(鎌田)次郎(ベガルタ仙台)もいますよ。(斉藤)雅也も明治大学のあと、栃木SCに行ってますからね。ふたつ下はけっこう(Jリーグに)行っていますね、そう考えたら、優秀な世代でした」

――権田修一選手、吉本一謙選手世代だと少し年齢が離れてしまいますが……。
「そこまで行くとわからないですね。ギリ、染谷悠太(京都サンガF.C.、セレッソ大阪)なんですけれども、彼の場合は流通経済大学にいたから、大学サッカーでの知己なんですよ。初蹴りでもわかりますし、大学一年と四年でしたらわかります」

(ここでビールがやってきたので、タイ語の「チョンゲオ」で乾杯)

――柴田峡さんはその当時、クラブユースなんだけれど、ちょっと部活っぽくやっている、という意味のことをおっしゃっていたように記憶しています。当事者としてはどうだったんですか?
「はい。もう、FC東京高校って言われていました(笑)。ほかのチームも言っていましたからね。クラブチームじゃないって。走るし。(クラブ)ユースチームって、印象としては走らないじゃないですか。高校に比べるとテクニックのほうを重視する。柴田さんの場合は、なおかつ、走らせていましたから。メンタルが半端ないじゃないですか、試合に負けたら(罰走で)走らないといけないし(苦笑)、苦しいですけれど、でもそれがいまとなっては絶対に生きてる。結局走れるか走れないかは、体力ではなくてメンタルの問題だと思うんですよ。それがいま、役に立っている。強靭なメンタル。最後の最後、脚が動かなかったとしても、メンタルが強ければ動く、とオレは思うんですよ。そういうふうに走りがすごかったので(笑)。いや、ほんとうに、目標タイムに三人くらいしか入れないような走力トレーニングがいっぱいありましたから。オレがギリギリ入るくらいの」

――目標の設定がきつい。
「そうなんですけれど、それにはきっと意図があるんですよね。ぼく、いちばん走れたんですよ。ユースのなかで。まずオレが目標タイムに入らないと誰も入れない(笑)、そういう状況だった」

(02)につづく

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