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(再掲載)【頼コラム】ある引退〜廣瀬智靖の決意

2017年7月25日、太田徹郎選手の期限付移籍加入が発表になりました。
同期の山田拓巳選手と太田選手が再び顔を揃えたとあらば、思い出すのはもう一人、廣瀬智靖さん。
この機会に、廣瀬さんが2015年をもって現役引退した際に掲載した記事を無料公開します。

年明けの1月4日、徳島から「廣瀬智靖選手 引退のお知らせ」がリリースされた。一瞬、「廣瀬智靖」の名前と「引退」の文字が頭の中でうまく結びつかなかった。虚を衝かれたというやつだ。まだまだ若い。しかも、昨季はけっこう試合にも出ていたはず。もしも徳島との契約が満了になったとしても、他に活躍の場を見出すことは十分にできる選手である。なぜ、今、引退なのか。その胸の内を聞いてみたいと思った。山形のクラブ関係者を通じて話したい旨を伝えると、快く了承してくれた。

短い呼び出し音の後、スマートフォンから聞こえてきた声に、思いがけず懐かしさを覚える。2008年に山田拓巳、太田徹郎(柏)、石井秀典(徳島)らと共に山形の新加入選手記者会見に臨んだ日から、幾度となくレコーダーを向け拾ってきた声だ。2014年に彼が徳島に移籍して以来およそ2年ぶりだったが、変わらない話し方にこちらも肩の力が抜けて、何より聞きたかったことを尋ねる。26歳のアスリートに引退を決断させたものは一体何だったのか。返ってきたのは、わずかの曇りもない明快な答えだった。

「ここ2、3年くらいで、セカンドキャリアについて漠然とですが見えてきたものがあって、もしも自分の中でサッカーをやり切ることができたら、そっちの道に進もうと考えていたんです。その中で去年、試合にも出してもらって、充実したシーズンが過ごせた。『やり切れた』という思いがありました」

2015年の廣瀬はリーグ戦25試合、天皇杯2試合に出場。山形でプロデビューしてから8年間のキャリアの中でも最も多い出場数である。J1だった2014年は怪我もあり一桁の試合出場に留まっていただけに、昨季は復活のシーズンと呼べるものだったろう。しかし、その達成感こそが、廣瀬に引退を決意させたのである。

「次の仕事について具体的な話が出てきたこともあり、迷いなくスパッと決めました。中途半端な気持ちでサッカーをやってはいけない、それはサッカーに対しても失礼だと思ったので」

プロになって何年かすれば、選手は嫌でもセカンドキャリアのことを考えるようになる。いや、考えなければならないと言った方がいいだろう。引退など全く現実味を持って想像できない若い選手にも、遅かれ早かれいずれその時はやってくる。そうやって自分の将来に思いを巡らせた時、廣瀬が魅かれたのは服飾の世界だった。

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